中2の生徒の期末試験対策

 中高一貫校で、ぶっ飛び授業を受けているので、中2なのに、中3の二次関数と直線の問題や、高校の数Aの三角形の五心を扱う問題を練習している。昨日解説した理科の遺伝の話は、あれも高校生物Ⅰの範囲だった。けなげなによくやっている、と、ほめてやりたい気分ともうちょっと日々の授業をちゃんと聞いておけ、とどやしたい気分と半々。数学に行き詰まり、ドアにかかった来年のノーマン・ロックウエルのカレンダーをみて、「これ、なかなかおもしろいですね」というぐらいなら、まだ、かわいいのだが、下手をすると、浦和直樹の「PLUTO」や、伊藤悠の「皇国の守護者」を本棚から引っ張り出して読んでいるから、困る。「何やってんだ!はい、はい、お勉強」と声をかければ、「集中力が切れて、、、」と言い訳。そうでなければ、やたらと携帯電話をいじる。「その君の人格の一部、預かっておく、貸せ!」と、取り上げることも珍しくないけれど、きょうはおとなしくしまっていた。ただ、解説をしていると膝をたたいてリズムをとる。ドラマー志望(うちの塾では二人目)で、そっちは妙に熱心に練習しているから、感心なんだけれど、落ち着かないので、すぐにやめさせる。まったく、真剣に悩んでいるようで、構えが甘く、いい加減にみえて、素直に頑張り抜く、つかみどころがないけれど、存在感はある、という宇宙人。LECっぽい生徒といえば、LECっぽい。
 ひょっとすると大物かもしれない、ひょっとするとたんなる怠け者かもしれない、たぶん、どちらの可能性もあるのだろう、みんなその狭間にいることは間違いないわけだから、ことさら、彼ばかりをとりあげる必要もないか。際立つ個性をおもしろがるのは僕の悪い性癖で、本当は際立たないで目立たない特徴をもつ子どもの資質をどれだけきちんと把握しているか、という点において、塾屋の力量は測られるんだろう。
 枠からはみ出す子、はみ出さない子、はみ出せない子、みんなの夢をすくいあげられるような塾屋になりたい。僕の提供できるものが、子どもらの夢を大きくすることにまっすぐにつながっていけば、塾屋として本望だ。日々これ研鑽。発展途上の注意書きはまだまだ外せない。

 塾屋、塾屋と威張るな塾屋、たかが声がデカイだけ、だったら、許せないよね。