午前中は

 初詣。降りしきる氷雨の中、草戸稲荷におまいりしてきた。
毎年、お願いすることはひとつだけ。
「どうか正しい道へお導きください。」
 実は、いつでもどこでも、手をあわせて念じることはそれだけ。最上稲荷へ行っても、吉備津神社へ行っても同じ。ひょっとすると、サン・ピエトロ大聖堂へ行っても、カーバ神殿へ行っても変わらないだろう。いつの頃からか、同じセリフを繰り返すようになった。間違った道へ進む恐怖心が年毎につのる。
 個人塾で、日々、何もかも、自分で考え、判断し、実行することを反復していると、知らず知らず、独善的になり、自己の経験を絶対化し、傲慢になっていく。傲慢ぶりを家人から露骨に厳しく指摘されるときはもちろん、眠れぬ夜にひとり寝返りをうつたびにはっきり歪んだ自画像がみえてくる。
 傲慢ゆえ、つい、自分に甘くなりがちになる。いいわけばかり考える。また、自惚れた見通しの甘さゆえの失敗も数多くなる。若いうちは無自覚だったけれど、さすがに四回目の年男になると、否応なく自覚する。
 縁起やジンクスをかつぐのは趣味じゃない。星占いも高島易断もお告げも守備範囲にない。今年はおみくじすらひかなかった。どんな成功もどんな失敗もすべて自分の責任。正しい道を進みさえすれば、必ず納得のいく結果をだせるはず。力及ばずして目標に届かなくても、せめて前向きに受け止められるはず。そう信じている。
 「どうかお願いですから、僕を正しい道へお導きください。」