首都圏では

 5万人を越える中学受験者だとか。2月1日に、それだけの人数がいっせいに”民族移動”したとするとなかなかすごいことだ。少子化の一方で受験者数が増加している理由は、いろいろ分析されているけれど、思うに、中学受験が現代日本の小学生の一種の儀式になったということだと思う。
 福山でも、明日の広大附属福山中学の校庭には、1000人を超える児童が集まる。二次抽選が廃止され、難易度が上昇したにもかかわらず、例年通りの志願者数であったということは、広大附属福山中学の入学試験が、福山という土地における冬の伝統行事化したことを意味していて、通過儀礼のひとつになっていると言ってもいい、と思う。
 合理的に考えれば、学力試験の合格者数が半分に減るのだから、志願者数も半減していい。でもそうはならない。入りにくさがその魅力を上回っていないから。そして大胆に予測すれば、今年度の合格者の追跡調査がおこなわれ、より精緻な合格ラインが明示されても、来年度もかわらず1000人を超える志願者が集まるだろう。いや、ひょっとすると増えるかもしれない。なぜなら希少価値が増せば、いっそう手に入れたくなるのが人情というものだから。
 かくして、未来永劫、福山の地に広大附属福山中学のある限り、1000人を超える児童たちが、全知全能をあげてチャレンジする入学試験が続いていくことになる。
 もちろん、首都圏でも連綿と続いていくだろう。
 中学受験を通じて、よりたくましく、より賢くなる子どもがひとりでも増えるような受験指導がおこなわれますように。彼らが受験を通じて失うものより得るものの方が大きい体験となりますように。そして、それが、家族全員の絆を強め、相互理解のきっかけとなり、幸せの源になりますように。
 ひとりの塾屋として、願わずにはいられない。