カート・ヴォネガット氏が逝去されました

 僕の大好きなSF作家でした。大学1年の夏、英語の今村先生から教えていただいた「スローターハウス5」の実に不思議な世界に悪魔的に魅了され、「母なる夜」のしみじみとした哀歓、「ローズ・ウォータさん、あなたに神のお恵みを」のヒリヒリする痛みにがっちり魂をつかまれて、あとは貪るように著作を読みふけっていった。
 名作といわれる「猫のゆりかご」は、印象深かったけれど、感銘は受けなかった。「ボコノン教」はおもしろかったけれど、圧倒的な世界観の転倒を期待出来るほどよい出来ではなかった。むしろ「ジェイル・バード」や「デッドアイ・ディック」のような不条理な現実に翻弄される愚かな人々のクロニクルの方が、ずっと心に沁みた。
 二十代の前半、僕の言語表現に過剰に溢れていた皮肉と韜晦は、大部分、ヴォネガットに譲りうけたものであったことは間違いない。
 結婚してからは新作を一作よんだかどうか。それがつい二日前、塾の子どもたちに読ませるために購入したSFアンソロジーをめくっていると、ヴォネガットの小品があるじゃないか。へぇー、子供向けに何を書いてんの、と思って、目を通したら、あまり出来のよくない、子ども向けにしてもちょっとね、気に入らない、という作品だった。ヴォネガットがよく口にした「坑道のカナリア」論がそもそもあまり好きじゃなかった。だから、子ども向けにしても反戦平和を露骨にプロパガンダする作品を書いたらダメじゃないか、って思った次第。
 文学をもし政治的プロパガンダの手段にしたら、それはヒトラーの行ったことを逆ベクトルでおこなうだけで、本質的には何も変わらない。ヴォネガットのドレスデン空襲体験と、その奇妙にねじれた文学観を照射するために、原民喜の「夏の花」と比較して論じようとしたことがあった。青二才の無謀な試みは、結局、カタチにならなかったのだけれど、生き延びて天寿を全うしたヴォネガットと、若くして自ら命を絶った原民喜を考えると、どちらの方もそれぞれの道を真摯に生きられたのだ、と思う。
 親しい親戚の叔父さんを亡くしたような気分の夜。合掌。