バイク・キッズの話

 実は六月から、自転車通学を義務付けられたLECの少年が三名いる。ひとりは中学1年生。まだ、幼いので猶予期間として遇されてもよいかもしれない。しかし、中間試験の取り組み方をみていて、状況認識の甘さがあまりにはなはだしいことを看過できなくなった。中学2年生の彼は、今、伸び盛り。お母様の手厚いサポートで、困難な時期もよく耐え忍び、成長期を迎えることができた。しかし、もうひとつ、物足りない。授業中に突然指名されても、臨機応変に対処する柔軟性を養いたい。中学三年生の彼もそう、緊迫すると精神的な平衡を著しく乱し、短絡と飛躍を繰り返す。いまだに乗法公式を言い間違える。まじめな性格は折り紙つきだけれど、局面を力強く切り開くパワーが切実に求められている。

 彼ら三人の主体としての塾通いを強化し、自主・自立・自律に向かう精神性を導くにはどうしたらよいか考えていたときに、ふと、思い出されたのは伝説のBIKE KIDSたち。

 現在、新進気鋭の弁護士として売り出し中のK君。彼は、中高五年間、坪生からはるばる自転車で通ってきていた。高校時代、ある凍てついた夜に坂道で転倒し、塾保険が適用されたこともあった。しかし、不撓不屈の闘志で、英数学館中→広大附属福山高校→一橋大学法学部と進学、圧倒的な戦歴を誇ってLECを巣立っていった。司法試験も軽々と突破した。

 LEC・ゴッドシスターことSさん。彼女は、広大附属福山中学の入学試験日の寒い朝、「がんばっておいで」という母親の暖かい声を背に受けて、なんの逡巡もなく自転車に乗ってひとり深津の自宅から入学試験会場に乗り込み、あっさり合格した。中高六年間の塾通いもずっと自転車だった。いまだに、青森県の十和田湖近辺で、自転車で片道二時間を走破して映画を見に行くこともあるそうな。パワフルな獣医になる日も近い。

 また、愛光2年のT君。木之庄から片道30分弱かかる道を自転車で往復していた、真冬に坊主頭にお母さん手製のホンブルグ帽をかぶって。ある時、全力でペダルを漕いでいる最中にチェーンがはずれて転倒し、汗にまみれ、油だらけの両手でやってきたけれど、泣き言ひとつ言わず授業に遅刻したことを詫びる姿には、彼のさりげない矜持があふれていた。

 そして、元我が右腕、03教室の前長老、TIGERⅠは、明王台の坂の上から、二年間毎日福山市内を横断して通ってきていた。ある夜、誤って宇田内科横の側溝に落下し、全身ドロだらけ、自転車はドブにはまって再起不能の廃棄処分になったこともあったけれど、奇跡的に彼は無傷、無事是名馬の見本をみせた。

 LEC BIKE KIDSの系譜をたどれば、光り輝く独立自尊の滔々たる流れをみることができる。無論、自転車に乗っていたからタフになったとは言いきれない。もともとタフだったから自転車通いも苦にならなかったのかもしれない。どちらかは分からない。確かなことは、彼らは、気負うこともなく自力で塾に通い、それを自然に受けとめていた、ということだ。つまり、彼らには塾は「自分で通うもの、なぜなら、自分が勉強しに行くのだから」というはっきりした自覚があったように思う。たぶん彼らの家庭に共通する認識であったろう。「親のために勉強する」という誤った発想はどの子にも100%なかった。

 自転車通塾を礼賛したいのではない。自動車で送迎してもらっていたけれど、きちんと自主・自立・自律の精神をたくましく養い、敬服すべき成長を成し遂げた子も多い。たまたま今回自転車通塾を命じられた子どもたちが、共通して漂わせる「幼さ」が単に精神的[依存」だけでなく、物理的「依存」によっている面も大きいように僕の目には映ったのだ。彼らの塾通いに、何かしらひっかかりを感じつつも、それが何を意味し、どうすればよいか明白な判断をくだせるまでにはずいぶんかかった。塾屋として間抜けな話である。とにかく、偶然にも同時に三人の少年の塾通いの仕方に介入し、変えてもらった。

 そして、きょう期末試験学習で机を並べた中3の少年に、中2の少年を示しながら「A君さぁ、彼と同じD中学だよねぇ、彼も自転車通学になったんだよぉ。30分かけてやって来てんのは君だけじゃないんだぜ」と言うと、「おお、仲間がおったぁ」と目をくりくりさせてニコッと笑った。

 なぜか、その笑顔がきょうはやけにさわやかで、印象深かった。