三時半から懇談

 小学校5年からお付き合いのあった中学1年生の少年が、LECを退塾するご挨拶だった。伸び悩みと冬期講習のキャンセルなど、これまでの経緯から心の準備はできていた。こうしてご挨拶を受けることすらおこがましい思いで、お詫び申し上げ、最後にできるアドバイスを申し上げた。
 自らの未熟と力不足を痛感する場面に出くわすことは、言わば塾屋の逃れられない宿命であって、避けて通ることは許されない。むしろ塾屋が独裁的な権力を濫用することへの抑止力として歓迎すべきものであろう。しょせん人間のすることに完全などありえない。しかし、不完全ならば、何がどう不完全なのか追求することが義務であろう。まさに、塾屋を鍛え成長させる場として、退塾の懇談は存在する。とりわけ、静かに淡々とこれまでのLEC通いを振り返り、メリットとデメリットを塾と家庭の両サイドから検討できる懇談はたいへん貴重な機会であったと思う。
 提供できるはずの力を提供できていなかった現実の分析をし、どこで認識を誤ったのか、どこでかかわり方を失敗したのか、僕なりにご説明申し上げて、お母様のご了解を得た。節目節目のけじめのつけ方に公式も処方箋もない。多様な出会いと別れがある中のひとつ、と傍観者のように語ることもできない。専門的な技術をもった人間として、能力を発揮できなかったことを、心からお詫び申し上げ、今までのご支援に感謝申し上げ、彼の今後の成長を願うばかりであった。
 そして、日が傾く頃、三々五々現れる小学生を迎え、今日の授業が始まる。六年は適性検査の学習、五年は学力試験、また、騒々しくも活力にあふれた一日が始まり、午後11時までノンストップで座る暇もなく、中学生、高校生の授業が続く。