灘高校の受験

 「落ちました」の電話。
 前々日の英語でガス欠を起こしていたので、驚くこともなく淡々と聞いた。「数学は全部できたんですけれど、、、」ふぅむ、ここ一番で集中力が極められ、冴えわたるタイプだということは、今回の受験ではっきり証明されたわけだ。入試成績の情報開示があるから、あとでゆっくり分析しよう、ということで受話器を置いた。これで彼の受験も終わった。ご両親にはご迷惑をおかけした。二日間にわたる入学試験。一日目のあと、敢えて宿をとらず、神戸まで新幹線での往復をお願いした。お手間をとらせてしまった。結果も残念で、無理にお願いした立場としてお詫びの言葉もない。
 僕たちが、岡山白陵でもなく、愛光でもなく、灘にチャレンジしたのは、ただ高レベルの学習をすることで、彼の学習に対するモチベーションを高めるためだった。掛け値なしに言うけれど、岡山白陵や愛光の問題では不足だったのだ。
 彼はいわゆる「附属中くじ落ち」の生徒だった。公立の中高一貫校に進学してからは、ずっと学年上位にいた。5番以内にはいた。クラブ活動も熱心で3年の夏には県体までちゃんと勝ち進んだ。ただ提出物はからっきし管理できていなかったし、試験範囲も知らずに試験を受けることは多かった。たぶん、授業もあまり熱心には聴いていなかっただろう。教室の机の中はプリント類のゴミ箱と化していたそうな、塾でも彼の使用する机の中は、膨大なプリントの集積所と化すので、しょっちゅう有無を言わせず捨てた。山のように計算用紙を抱える必然性はないところで、捨てずにさりとて整理もせずにプリントを抱え込む癖は最後まで直らなかった。やんちゃ坊主のイタズラ好きで、独特のユーモアはあるけれど、決しておとなしいタイプではない。塾では中2から飛び級した。漢検2級は中2でクリア。英検2級も中3でクリア。LECの最年少記録を次々塗り替えていくスーパー受験生であった。中3の2学期に取り組んだ月刊誌「高校への数学」の学力コンテストも毎回成績優秀者氏名に名前が載った。2学期の時点で英語も数学も高校1年のクラスで何不足なくやっていけた。
 とにかく知的刺激を求めることが尋常ではなかった。附属入試の最終局面で、世界地理のマニアな事項を整理しようとして、中3ヤギさんチームに朝鮮半島のプリントはカットするように伝えたところ、彼は、そのプリントだけ熱心に暗記していた。朝鮮半島にどんな山や河があるか、目的もなく暗記できるその精神構造がなぞだった。まったくぅ。定期試験であっても、ピカソの本名をフルネームで書いてみたり、国連の機関名を全部英語で書いたり、英作文を点字でやろうとしたり、彼が中学在学中にやった悪ふざけのリストを作るのはまことに楽しい。
 はみ出していく知力を、通常の受験勉強の枠内に納まりきらない、自分のパワーとスピードをもてあましていた彼が、やっと本気で取り組むことができたのが、灘の入試問題だった。灘の受験を本格的に始動させて始めて、彼の受験遊びが、受験勉強へと変質した。知らない事柄が続々現れ、読んでも読んでもつかみきれない英語長文がどこどこ出てできて、やっと彼の頭脳が受験モードに入った。言ってみればその時点で、附属→灘という併願作戦は成功したようなものだった。本気で勉強するべき時期に、本気で勉強させられるかどうか、が問われていたのだから。
 そのうち、彼の口から「受かりたいです」の言葉がきかれるようになって、質問は量と鋭さを増し、彼の受験勉強はいっそう輝きをました。合格させてやりたかった。間接話法をたった40分の解説でマスターし、教えなくても余弦定理を自力で証明してしまう彼に、ちょっぴり自信をつけさせてやりたかった。いずれ3年後、灘高生と大学入試の現場で競うときに気後れすることなく対峙できる、ちょっとしたささやかなエピソードを経験させてやりたかった。
 夢と散った。
 ならば現実を見るしかない。来週からは大急ぎで数Ⅱにはいって、先行する高校中級の生徒たちに追いつかなければならない。フリーハンドで受験指導を任せていただいている塾屋のご両親に対するご恩返しは、たぶん、そういう形になる。