昨日の小6の算数の授業

 テーマは「食塩水」
 基本的には、「割合・百分率」に属する単元なので、5年の履修範囲になるんだけれど、今年は6年四月まで手がつけられなかった。「速さ」で膨大な足止めを食ったし、「分数の四則計算」でも、とんでもなく遅滞した(いや、いまだに満足するべき水準にはほど遠い)。「食塩水」「売買損益算」をやるための環境整備に手間取った。敢えて正当化を恐れずに本音を言えば、時間をかけてじっくり丁寧に扱った、と言っておきたい。
 例年なら、エイヤっと強引にひととおりあたっておいて、あとでスパイラルに演習を深めるスタイルで押していくのだけれど、今年は、そうしたパワープレイがためらわれた。子どもたちが単位時間内に消化できる量を越えてしまうことが明白だったからだ。
 では、今までは消化できていたのか。決してそんなことはない。消化不良を起こして、夏や冬の講習会で復習するとき、どれだけ絶望的な思いで基礎からやり直したことか、まるで年中行事のように、何度も何度も「食塩水」や「損益売買」を扱った。絶えざる敗戦処理を続けていくような暗い気分を押し殺しながら、演習量を増やしていった。モチベーションが上がるわけがなかった。
 まさに自己矛盾以外の何ものでもない。思い切って根本的にスタイルを変える必要があった。今年、模擬試験を変えた大きな理由のひとつがそこにあった。従来の模擬試験カリキュラムでは、僕が教える子どもたちの理解と習熟のペースと噛み合わないことが多すぎた。試験にあわせて駆け足であれもこれも詰め込みすぎて、結果として演習を深められないまま追われていくことになりがちだった。そのもどかしさを避けられない自明の理として受け入れてきたけれど、もっと、ちがった進み方があってもよいのではないかという思いが年々強まり、今年のテキスト・模擬試験の改編につながった。
 かつて、英数学館の元教頭でいらっしゃった安田先生の授業(市内の塾の希望者対象のユニークな試みであった)を拝見したとき、ああ僕はどう教えていくかという方法論ばかり考えていたけれど、ここには何を教えるべきか真剣に考えていらっしゃる方がいる、と深く感動したことがあった。後にその感想をしたためて安田先生に送ったとき、僕にはhowはあるけれど、whatがない、という言葉をつづった。
 あれから早いものでもう6年もたつ。少しはwhatを語れるようになっただろうか。howもwhatも追い求めてきたつもりだが、どうだろう、これといった確信はない。無我夢中で教えていれば満足できる歳ではない、自分の強みに絶対的な自信をもてるほどの才もない。独身のときは、つまらない大人になりたくない、と痛切に思っていたくせに、気がつけば、くだらないオヤジになったと、妻子にののしられている。まったくそのとおりであって、反論の余地はない。が、卑下しても何もうるところはない、反省したところで三日ももたない、開き直って、くだらないオヤジとして、まっとうな道を歩むべきだろう。
 たかが「食塩水」から、話がそれた。朝から03教室に篭りきっていると、ついつまらないおしゃべりが過ぎる。05教室の仕切りが完成し、エアコンがとりつけられ、午後から机と椅子が搬入される。きょうは工事の音も小さく、不連続。パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲を消しても、デスク・ワークができる。外で鳴くすずめのさえずりさえ耳に届く。午後からは雨もあがるだろう。