「いい学校に入れなきゃいけないから塾に通わせなきゃ」という人の話を聞くと、まだそんなことやってるんですかって、化石を見るような思いがするだけで、もうぼくは、そういうのと付き合いたくないんですよ。

きょう(24日)にTLにmiyasan_botから流れてきた宮崎駿監督の発言。
塾屋の心に深く鋭く突き刺さる。「俺は違う、批判されるようなそんな安直な考えは微塵も持っていない」と言い切れるかどうか、はなはだ心もとない。また「だからどうした」と開き直れるほど確固とした独自の立場をもっているわけでもない。

宮崎監督の言葉はどういう文脈ででてきたのか。もとの文章にあたらないとわからない。
出典の文庫を手に入れ熟読吟味するまでは、チクチク刺さった棘を抱えておこう。「化石」の考えの持ち主で、「付き合いたくない」人として、塾屋稼業を営んでいるつもりはない。しかし、敏感に反応した自分の心模様を振り返ると、やっぱりなにかうしろめたい。

塾屋は、矛盾を抱え憂鬱な気分を宿しつつ、どれだけさわやかに健やかに学習指導をやってのけられるか、いつも試されている。資本主義社会でまっとうに生き抜く覚悟と矜持が、試されていると言いかえてもよい。

光速より速いニュートリノが見つかったことが話題になっていた。まさかね、と思いつつ、しかし、絶対的真実と考えられていたことが大きく揺さぶられ、何か新しいものが見つかる期待感も抱いてしまう。

遠い美しい世界の物語、日々の営みにはさざ波すら立たない。それだけに清浄感すら漂う。欧州金融危機などどこ吹く風、驚愕すべきデータを検証するため、ひたすら実験に没頭したであろう科学者たちをとても嬉しく思う。今朝のあの突き抜けていく青い空のようなすがすがしさがそこにはあると思うから。

そうした青い空を心のどこかで感じながら、地を這う仕事にベストを尽くすのが日常人の務め。

22:58。英語の長文と格闘していた中3の女の子が帰宅した。
彼女のきょうの一日の努力が、彼女のなるべきものになるための確かな一歩となりますように。