昔、昔、、、

小5 分数と小数の四則混合計算。ある生徒が50点をとった。点数自体は褒められたものではない。4問中2問しか正解を出せなかったのだから。
 しかし、クラスのメンバー一同には驚きが走り、どよめいた。
 理由は簡単だ。「どうせまた0点だろう」と誰もが思っていたからだ。
 というのも、その生徒はこれまで計算問題で連戦連敗して0点を取り続け、しょっちゅう授業から追放され、ひとりさびしく強制間違い直しさせられることもたびたびあったからだ。たった5問の間違い直しに夜10時までかかることもしばしばあった。私ひとりで手に負えないときは、単語テストの再テストで居残りになっていた中1男子に、間違い直しのチェックを依頼することすらあった。(あのさぁ、君とよく似たタイプの生徒なんだよ、頭は悪くないんだけど、雑でさ。間違い直しが終わったらさぁ、見てくんない? 正解だったら帰していいから。悪いけど頼むよ)
 それで効果はあったのか。一進一退というところであった。基本原則は理解しているが、その運用が実に下手くそであった。
 まず、ウルトラ級に字が汚い。数字はことごとくねじ曲がり、のたうち、つぶれていく。当然、読み間違いがおこる。式変形の過程はくさび形文字の羅列としか形容しようがない。どうやって約分をすすめているのか判読しがたい。足し算記号と掛け算記号が入れ替わることも珍しくない、、、、ただ、この程度の子はざらにいる。本人が改善意識をもつまでは、たいがい放っておく。丁寧に書かせようとする働きかけが自己目的化しても計算力はアップしないことが多いから。ため息はつきたくなるけれど、嫌味のひとつも言うけれど、ほどほどにしておく。
 もっと問題だったのは集中力。計算に集中できない。たぶん、いやでいやでたまらなかったのだろう。間違い直しの最中にキョロキョロするのはふつう。ぼーっと妄想の世界にはいるのもふつう。指をなめたり、プリントの端を意味もなく折り曲げたり、ぐじゃぐじゃと意味不明の落書きを延々とつづけたりするのもふつう。ひどいときは壁のクロスをベリベリ剥いで倦むことを知らない。(どうすんだ、あの壁、お前がひっぺがしたあの無残なありまさを見ろ、していいことと悪いことがあることの区別もつかないのか、と、怒り狂っても後の祭り、本人はケロッとしていて反省ゼロ)
 要するに、幼い子供がするであろう無目的な行動の陳列棚であった。しかし、これも、本人の成熟を待つしかない時期がある。身長が伸びるように、自然に集中力が伸びるわけではないが、時間をかけて徐々に養わなければならないメンタリティを短期間にどうこうしようとしても、無駄である。塾屋の指導のおよぶところではない。早く大きくなれ、と鷹揚にかまえるしかない。かまえるしかないけれど、時にかまえられないときもある。
 さらに、不思議なことに、なぜか、引き算が大嫌い。分数の引き算を教えていたときのことだ。例によって、小テスト不合格、居残り再テストになったとき、引き算の再テストを勝手に全部足し算に変えて答えを出して、見事に平然としていた。あまりのバカバカしさに笑ってしまった。前代未聞の振る舞いに、半ば呆れつつ「あのね、決められたことは決められた通りにするの。勝手に式を変えていいわけないじゃん。何考えてんの。そんなに引き算が嫌いか?」「だって面倒っちもん」「ふむ、面倒ね。あのさ、世の中にはね、君の知らない面倒なことが山ほどあるの。たかが分数の引き算くらいでぶつぶついってちゃしょうがないでしょ。分かる?」「......」「分かったら、ちゃんと引き算する!分かった?」「......」「返事!」「はい」
 手を焼いていた、と言っておこう。私がその生徒とバトルを演じている場面を見たことのあるLECキッズはたくさんいるだろう。ほぼ3週間ほど続いたバトルで、最低限の運用が可能になり、クラスの授業にフル参加させることにした。なぜか速度計算はそこそこ上手で、慣用句は人並み以上に知っていたことでクラス復帰できた。
 この間、ご家庭が辛抱強く私に指導を預けてくださったことを感謝しなければならないだろう。クレームや注文をうけても不思議ではなかった。
 彼のかかえる「難しさ」は、もちろん彼固有の問題なのだが、教える側からすれば、一般的な事例のひとつにすぎなかった。できないものは、できるまで何度でも繰り返す。時間をかけて焦らずにひとつひとつ階梯をあげていく、それだけの話だ。あきらめなければいい。本人に「できるようになりたい」という思いがある限り、その働きかけは必ずうまくいく。「認められたい」という強い欲求がはたらけば、より効率よくすすむ。適度な緊張感と管理されたトレーニングが維持・継続すれば、あとは塾屋がいなくても生徒は育つ。
 ということで、彼は、まぁ、ふつうに計算できるようになった。もちろんクラス平均よりは下位だが、そんな順位はいまのところどうでもよい。不意に試されてちょっと結果を残せたことが重要なのだ。次試せば、また0点を取るかもしれない。やってみなければ分からない不確定要素は多い。下手をすれば、整数の四則計算すら時に無茶苦茶になる。その日の気分次第で、思考力がどう乱れるか、誰にもわからない。心穏やかに、集中できればうまくいくだろうし、心にさざ波がたち集中できなければ何をやっても駄目だろう。いずれ、もう少し大きくなれば、そんなことを心配することもないだろうけれど、たぶん、この数年はそうした無頓着な精神性を楽しませてもらうことになる。巨視的にながめれば、子どもはみんなそういうもので、ちょっとした程度の差で、ごちゃごちゃ優劣をつけるのは馬鹿げたことのように思われる。
 昔、昔、落ち着きのない子だ、と言われ、いつも妄想にふけり、この世界に適応して生きていくことを途方もなく面倒に感じていたひとりの少年が、何の因果か、塾屋をやっていると、かつての自分をみるような子どもらがいっぱいいることにあらためて気づく。ちょっと苦笑して、ちょっとため息をつくけれど。