「インクス流!」山田眞次郎(ダイヤモンド社)ISBN:4478200823:detail

 金属加工の技術者が、IT技術で開発された三次元CADを目にして、会社をやめ、金型製造のプロセスを革命的に短縮する工程を開発し、瞬く間にビッグビジネスに育て上げ、日本経済の未来を憂えて「知的産業革命」を訴える本

 僕が恐れおののいたのは、実は、その「工程の驚異的な短縮化」にあるのではなくて、神様レベルの金型職人の技術を、すべて数値化してコンピュータ制御し、自動工作機械を発明したエピソードが、細部にいたるまでなじみ深いものであったことだ。
 
 もちろん、僕が似た体験をしたことがあるわけではない。カート・ヴォネガットの処女作品「プレイヤー・ピアノ」

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

にそっくりの逸話があったことをまざまざと思い出したのだ。カート・ヴォネガットと言っても、大江健三郎が「チャンピオンたちの朝食」をほめていたね、とか、初期の村上春樹がパクッていたよ、とか、そんな引き合いでしか語られないアメリカのSF作家で、ちょっとカルトっぽいファンはいても、一般受けする人じゃぁない。ぼくが20代の中ごろ、まだペレストロイカも始まらない、冷戦構造がしっかり世界を飲み込んでいた頃、ちょっと流行ったことはあったけれど、それは暇な文化人と学生さんの間だけの話だったように思う。

 「プレイヤー・ピアノ」は、アンチ科学技術礼賛で、「インクス流!」とはまさに好対照な位相にある。TVで「アトム」を夢見て育った世代としては、「インクス流!」の興奮に染まって、「知的産業革命」を唱導する立場にたちたいけれど、もってうまれた天邪鬼な性格は、カート・ヴォネガット風の厭世観がたまらなく心地よかったりもする。

 実際的な職業人としては、どこまでも生産工程を短縮し、生産コストを下げ、価格価値ではなく、文化的価値で商品価値が決まる!という発想に熱く同意したい。僕自身の基本路線(授業時間の絶対的短縮、学習量の逓減、質的向上)にも素晴らしくフィットする。LECの目指すべき方向性を示唆されているように思う。「目標とは意志である」と書かれていると、「やるぞう!」と素直に反応する。まったく、どうしようもなく、恥ずかしいほどに。

 「革命」とか「新しい時代」とか、そういう手垢にまみれた扇情的な言葉を、どうも懐疑的にみてしまう保守性、いや、ひねくれ根性も、しかし、確かにもっていて、ほんの小さなひっかかりが、決してなくならない。

 そして、例によって、そうした矛盾を止揚するわけでもなく、「まあ、そういうことだ」と全てうやむやに受け入れてしまって、もうずいぶんたつ。「それが思慮分別というものだよ」と言い聞かせつつ。

 切り口あざやかに、自分の人生と真っ向勝負するのではなく、ゆるいチェンジアップでかわしながら、できるだけ打たせてとっていくやり方で、日々しのいでいる、と言ってもよい。

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 入試のストレスがたまると、意味もなく駄文を書きたくなるのは、学生時代、試験期間になると、無性に本が読みたくなったのと同じかも。塾屋の現実逃避にお付き合いくださってどうもありがとう。明日、みっつの私立中学の合格発表が重なっていて、いまさら、どうしようもないのだけれど、もう二十六年もやってきているというのに、はぁ、だめですな。