今夜は、ここまで

 きょうもなすべきことをした。
 明日もまたなすべきことをする。
 
 小4の国語のテキストで、宮沢賢治の童話を扱った。
 「野ぶどうの木」が「にじ」に恋する話。心が痛いほど切ない片思いの気持ちが、「うやまい」という言葉に象徴されているのだけれど、子どもらには、まだ、到底理解不可能な話で、散文的な説明を加えても、ニヤニヤするだけで、その哀しみは伝わらなかった。
 いや、それでよい、と思った。天真爛漫、無邪気に明るく過ごして欲しい、と願うのは、僕のエゴに違いない。しかし、身も心も裂けてしまいそうな恋をしなければならない、とは思わない。
 わからなくたっていい、というのは、知性に対する冒涜かもしれない。恣意的に決め付けるのはあまりに横暴かもしれない。鋭すぎる恋愛感情を、人を狂おしく思う気持ちを、さて、しかし、あの子らがいつ、どう理解するのやら、、、、
 問題はすこぶる平易で、それ自体は問題ないのだけれど、宮沢賢治の激情ほとばしる表現と、子どもらの無垢な反応が、とても強く印象に残った授業だった。
 受験をあまり意識することのない、無重力状態下の小学四年生の国語は、近頃、とても楽しい授業となっている。