朝からよい天気

 TVでは、大型連休の幕開けを告げるセリフがどの局でも繰り返されている。遅刻しないように大急ぎで朝食のパンをかじりながら聞いている当方としては空々しく響くだけ。明日は「昭和の日」という祝日で、5月4日が「みどりの日」になったらしい。こうしたネーミングに政治的な意味を肯定的に求めたい人も、否定的に求めたい人もそれぞれいらっしゃるだろうけれど、勝手にやってくれ、というのが僕の本音。何の日だっていいじゃん、休みなんだから、という小学生の言葉に同意する。国家権力が暦を露骨に支配する過程を体験するのはあまり気分のいいものじゃないけれどね。

 何かしら美化された昭和30年代ブーム、レトロでノスタルジックな「昭和」を追想する現象に胡散臭さを感じてしまうことは、しかし、また別の話。どうでもいいとは言えない。あの頃はよかった、なんて話はたいがい物事の一面しか見ていない奴のセリフで、いつの時代にもろくでもないことがあったし、今の時代にだって宝石のように貴重な一瞬はある。とにかく生き続けていかなければならない人間が、未来志向の発想を捨てたらおしまいだ。無論、過去を全て切り捨てろと言っている訳ではない。現に生きている人間の住むべき場所は、失われた過去にはない、というだけのこと。そして愛惜すべき過去はあらゆる時代・場所にに偏在し、特定の「晴れた青空」の下にあったり、「夕日に照らされた丘」の上にあったりするものでもない。同様に、「坂の上の雲」はいつの時代にもあるのだ。