絨毯爆撃も必要があれば何度でも!

 受験勉強の真髄は、本当に分かるまで徹底して試すことができるかどうか、という執着心にあるのだろう。
 より効果的な方法は、単純な学習量に支えられることもあれば、個人の集中力に支配されることもあって簡単に定義することはできないけれど、方法以前の前提条件として、学習者が腹の底から分かった,納得したと感動できること、そして何らかの客観的な指標がそれを裏付けることが絶対に欠かせない。ともすると、受験生は、年齢に関係なく、主観的な思い込みが先行し、客観的な評価を軽視する傾向が強い。
 分かっていたはずなのにできない、という現象は誰にでもよくおこる。しかし、あえて言えば、それは、「分かっていたつもり」になっていただけなのであって、「分かっていた」わけではなかったのだ。
 安直な自己認識が、知らず知らず自己欺瞞を招き、誤った認識がさらにいっそうご都合主義の行動を招く。そうした悪循環は、現実を直視するという、鋭い痛みを伴う作業を通してしか断ち切れない。受け入れたくない現実を正々堂々受け入れてはじめて、受験生は成長し、合格者へと育っていく。
 受験勉強が必然的に学習者の精神的成長を促し陶冶する機能こそ、受験勉強の真髄の根幹部分に密接に関係する。正しい理解へのやみがたい欲求と能力獲得へのあくなき探究こそ、執着心の中身であろう。
きょうも朝から頑張った彼ら、彼女らが、連綿と続くこの受験勉強を通して確かな成長を成し遂げてくれたら、LECはまともな塾であったということになる。