書き込み@自宅

講習の時間割が受験生シフトに移行、いよいよ大詰めの感がある。
が、切迫感の高い高3、緊迫感を漂わせる中3に比べて、小6のお気楽なことといったらない。各人各様、切実な思いを抱いていることは間違いないけれど、集団となるとあっけらかんとした雰囲気に染まる。むやみにピリピリするより子どもらしく健全であるとは思いつつも、時に、その無自覚なありように呆れてしまう。
毎年のこととくくってしまえばそれまでで、良くも悪くも子どもなりにストレスを発散しているのだろう。意味もなくはしゃぎ、歌い、笑い転げ、現実認識を欠いた馬鹿話に興じている。とことん合理性を欠いたその行動が、しかし、たぶん彼らの貴重な思い出になっていく。
非合理ゆえに健全さが保たれたるというねじれた現象を、管理社会の宿命と強弁する気はさらさらないけれど、そこに流れる透明な空気を少し離れて眺める距離感は失いたくない、と思う。夜ふけて自習室でひたむきに入試問題と格闘する子どもが発する凛とした雰囲気と同様に、それもまた、普遍的な塾の風景のひとコマであるだろうから。
塾屋を呆れさせ、おののかせつつ、非合理かつ健全に彼らは中学入試へと向かっていく。見事な集団エネルギーである。