普通の授業を普通にできた、気がする

普通の授業を普通にできた喜びは、敢えて特筆するべきものではなくて、そっと心に留めておくぐらいがちょうどいいのだろう。平凡な喜びを詳述しても、あたりまえのことしか描写できない。プロの作家なら、くっと読者を引き寄せるフレーズを書き込めるのだろうけれど、アマチュアにそんな技はない。ともかく、ごく普通の授業が、いくつかのお怒りの言葉や、共有された感情や、こころあたたまる交流を織り交ぜながら、ごく普通に行われ、時間通り帰る子や、やっと再テストに合格して晴れ晴れできた子や、また明日も来なければならない子を伴いながら、静かに幕をおろす。その繰り返し演じられる塾屋の営みを、たぶん、村上はこよなく愛しているからこそ、飽きもせず30年も塾屋をやっているのだろう。