職場復帰

昨日は、いろいろご迷惑をおかけしました。

おかげさまで、旧交をあたためることができました。

 

丸顔のS君は言った。「僕は、率直に言ってマルキストです」。東西冷戦が国際政治の桎梏となっていた当時ですら、その発言はいささかアナクロで、耳にした僕は「よう言うわぁ」といぶかしんだ。早稲田大学政治経済学部政治学科、日本思想史の河原ゼミの選考会で、その「マルキスト」を自称したS君と、もうひとり、広島の修道高校出身で「フランクフルト学派」を名乗ったF君のスピーチが群を抜いて印象的だった。首尾よく河原先生のゼミ生となった僕たちは、侃々諤々よく議論し、よく飲み、よく麻雀をし、生涯の友となった。

 

丸顔のS君は言った。「村上ね、デモに来る時は学生証を持ってきちゃだめだよ、すぐに身元がバレるから」あれは横須賀にハープーン搭載のミサイル巡洋艦が初入港する時、ノンポリ学生の僕が、S君に誘われてデモ隊の一員として歩き始めた時のことだ。へぇー、そうかぁ、ひょっとしたら機動隊と接触するかもしれんななぁ、という意識の低い僕を、S君は笑ってみていた。

 

丸顔のS君は言った。「村上ね、お前が、この世界を正しく認識したいと思っている、というのはわかった。だけどさ、それからどうするの。その認識ってなんの役に立つの。この現実をどう変えることに役立つわけ? それがさっぱり見えてこない」象のように小さな目を、鋭く光らせ、僕の弱みをついてきた。そう、彼は行動の人。大学時代に当時でも本当に珍しい社会党員になり、卒業後は迷わず自治労に勤め、労働するものの立場にたつ、という宣言通り、まっすぐにぶれることなく生きている。まったくもって見事な人生というしかない。

 

30年の空白は、ホテルのロビーで出会った瞬間に消え、「おまえ、変わらないねぇ」「おまえこそ」のふたことで、僕らはタイム・ワープをすませ、すっかり元通りになってまたも侃々諤々。

 

三島由紀夫の美意識を論じ、高橋和巳の愚直さを讃え、オルテガの「大衆の叛乱」の途中挫折した輪読の続きをやり、河原先生の著作を語り、この30年間封じられてきたおしゃべりを5時間あまり延々と続けた。ラスト1時間は、駅前の所用をすませた妻も加わり、3人でさらに盛り上がってしまった。挙句、「あなたという人は本当に謎ね、いまだにわからない」というお褒め(?)の言葉を今朝妻からいただくことになった。歳を重ね、丸い頬が痩けて四角い顔になっても、陽気にして寛容なS君が「なんと新鮮な夫婦だ」と言ってくれたおかげだろう。

 

四角い顔になったS君は言った。「おまえってさ、学生のころ、半ズボンよく履いてたよな、それでウォークマンのヘッドフォンをいつもつけて、えーっと、スメタナの「わが祖国」と、そうそう松田聖子のベスト版、きいてたろ、ギャハハハ」よくまぁ、そんなくだらないことを覚えているもんだ、という笑い話を次から次に掘り出してくる。

四角い顔になったS君は言った。「一升瓶のワイン買ってさ、お前に無理やり『浅川マキ』のCD買わせてな、暗くなろうぜっ言ってさ、お前の部屋でカーテン閉めて、スタンドのあかりだけで、CD聴きながら酔っ払ってさ、あれ、ホント暗かったよな、グハハハハ」ああ暗かった、時代はバブルの幕開け、華やかな世相に意地でも背を向けて逆らおうとしていたのかもしれない。今となっては何もかも遠い昔のこと。いやはやどこから切っても「時には昔のことを」だね。

 

というわけで、膨大なアルコールを消費したにもかかわらず、二日酔いにもならず、すごく楽しかった記憶しかない一夜をすごすことができました。塾屋のわがままな行動をあらためてお詫び申し上げます。

 

以上、報告とお詫びでした。