そろそろ夏の始動

小5に授業終了後、夏のテキストを配布した。
「全教科書き込みOK」と指示した。平易な標準レベルの薄いテキストなので、さっさと終わらせて、いろいろオモロイことをやってみたい。そんな意図をもっている。
きょうの理科はひたすら「もののとけ方」で、再結晶の量を計算する問題を演習した。算数として考えれば、初歩的な比例の問題にすぎない。しかし、ふたつの変化量を倍数関係で考えられる子とそうでない子がいるのは、いつものことだった。あとは練習量の差がものを言う。どうか、宿題のプリントをちゃんとやってもらいたい。

中1は、例によって、いろいろな疑問文。期末試験をはさんで一か月近くやっている。数名、大苦戦の子がいる。どうにもこうにも気長に待つしかないようだ。あきらめずにとことんやっていけば、必ず突破できる。
中1Jに入る生徒を7名を選抜した。学力テスト結果で上位7名を選んだ。正式なデータが返ってから、と思っていたけれど、毎回、しつこく質問されるので見切り発車した。ひょっとすると、データ返却後に若干の異動もあるかもしれない。

高校上級は、ちょっとアップテンポに切り替えた。もっとアグレッシブにやるべき時が来た。強気でビシバシやるべし。


「ありがとう、もう再々来んでええよ」と母が言った。認知症とは思えぬ明晰な発言だった。きょうが何月何日で、自分が何のために入院していて、入院している病院名すらわからないはずなのに、「塾があるんじゃろ、忙しいんじゃろ」と言った。気丈な人だ。
ともすると、私に精神的に依存しようとしていた父とは全く違う。
姪に第一子が誕生し、「ひ孫がうまれたよ、家族が増えた、よかったね」と言うと、目をうるませ「うっうっ」と言葉にならない言葉をもらした。あたたかい感動の伝わる表情に真実をみたい。たとえ正しく理解できていなくても、ともに喜びをわかちあった一瞬は確かに存在した。
手探りの会話、もどかしいやりとりすら、貴重なひととき



何ということだ、たった今、病院から電話があった。
母の呼吸が荒い、、、
病院へ向かいます。


2:24
波乱に富んだ夜もやっと終息。
母はICUに移されていたものの、小康を得て、言葉もかわすことができた。
「そんなに度々こんでもええ、塾が忙しかろう」
「息子に遠慮なんかするな。明日も来るから」

当直医の話
「肝臓癌と肝硬変は末期の状態のため、体内で血小板を補充する力が極端に低下していて、消化器、肺、脳、いずれかで出血があった場合、血をとめることはできない、肺で出血した場合、人工呼吸器を使うこともできるけれど、あまり意味はない。むしろ、痛みをとりのぞき、静かに眠ってもらう処置をとった方が賢明ではないか」静かに語られた。
躊躇せずに同意した。
ただし、症状が急変し、福山から駆け付けるまで1時間はかかる、その間だけは何があっても延命処置を続けてもらいたい旨、お願いした。
了承された。

深夜の国道2号は雨に煙っていた。
トラックに挟まれ、頭はからっぽで、中島みゆきのCDを聴きながら運転していた。
「時代」が心に沁みた。
「ファイト」を聴きながら車を停めた。

今夜は、運がよかった。
そのことを感謝して、終わりにしよう。