きょうは昼までダウン

短期間の検査入院のはずだったのに、病院で誤嚥性肺炎に陥ってしまった母を見舞いに、ここ一週間連日三原に通ってきた。いったい何があるやら。

さすがに、きょうはストップ。休養日。

昨日の中2の授業で、英検2次受験者の報告と、全員の期末試験結果の申告を受けた。

英検は、ことのほかうまくいったようだ。
一般論として、高度な実力をもった生徒は、犯した失敗に敏感で、悲観的な報告をしがちであり、そうでない生徒は、失敗に鈍感であるだけ、楽観的な報告をしがちである、という経験則がある。
だから、「うまくいきました」という言葉を塾屋は鵜呑みにするわけにはいかない。しかし、頭から疑ってかかるのもまずい。信頼関係を尊重しつつ、断片的なもろもろの情報をあつめて、妥当な判断をくだすことになる。
ちょっと気がかりな点がないわけではないけれど、今回は、たぶんうまくいっただろう、と言っておこう。

問題は、期末試験の方だ。

90点台と80点台の得点が交互に並ぶ申告用紙なら、「ふむ、こんなものか」ですむのだが、70点台の得点や、60点台の得点が、ゴロゴロしているような結果を見ると、「何考えとんじゃぁ」と怒り炸裂。反省欄に「次はがんばる」とか、書かれていても、「何が、がんばる、だ。二学期は、次はもっとがんばる、で、三学期は、次はもっともっともっとがんばる、か」と
言わずもがなの毒舌を吐くことになる。

現実から50センチくらい浮遊しているところで、言い訳をしてもはじまらないんだってば。練習した問題量×集中力 が全て、ちょこっとしかやらなくて、面倒だなぁ、とか思ってて、結果が伴うわけないだろう。

などなど。しなくていい説教をする羽目に陥った。

説教するくらいなら、一問でもいいから、きちんと解ける実力をやしなってやろう。一文でもいいから、間違いなく解釈できる力を身につけさせよう。たぶん、その途方もない繰り返しの先にしか、望んでいる未来は来ない。

村上の考える望ましい未来が、彼らの望む未来と共有されていることは確かだ。失敗も停滞もひっくるめて、成功への糧にかえる営みを次回から始めよう。とりかえしのつかない失敗なんてない。すべて、それは成功へのたんなるステップにすぎない。不都合な現実ときちんとむきあっていけば、かならずそうなる。