午前中にシニアクラブの英語を

 1コマ。基礎基本をどう身につけていくか、知識そのものは無論のこと、気がつくと英文にアプローチする方法論を語っている。英語が苦手な子は、多くの場合、英文への接し方がわかっていないだけで、一定の作法を身につければ、たいがいの子は自動的に離陸できるようになる。ただ助走の長い子もいれば、短い子もいて、滑走路をタキシングするばかりで、滑走し始めるのに時間がかかる子は、塾屋に根気がいる。
 若い頃は、教えてすぐにできないと、怒りまくって自爆することが多かったけれど、26年もやっていると、教えても、できなくてあたりまえ、できると「すごい」と思ってしまう。だから、ちょっと教えてぐいぐいできる子は、どの子も素晴らしく優秀にみえてくる。 ただ、そうした主観のもつ色彩と、客観的な実力のもつ色合いのズレは、どこかで正しく認識する必要があって、複眼的な思考をやめるわけにはいかないのは、あたりまえの話。優秀にみえる生徒が、優秀な成績をとるわけではない。優秀にみえるのに、優秀な成績をとりきれない因果関係を見抜き、適切な指導をする力が塾屋に求められているのだ。