学年末試験の

 答案用紙をみて、顔がひきつる。つまらないミスのボコボコから、自意識の拡張と理性的な認知能力の平衡が崩れた自我のありさまが、まざまざと紙面上にみてとれる、と言ったら言い過ぎか。しかし、その子の今のありさまを、タロットカードや、水晶玉より、はるかに英語や数学の答案用紙は物語っている。3年以上も学習指導をしてきて、それも読み取れないようなら塾屋じゃない。
 問題は、しかし、では、どうやって抱える問題を解決するか、その問題解決方法だ。公式はない。決定的な方法論もない。精神論や心の問題にすり替えても、学力は向上しない(それが許されるなら、受験生のかかえる問題の所在は、すべて心の問題になる、つまり、それは、何も指摘していないのと同じことだ)。
 塾屋は、あくまで授業で解決を図る。授業の中で、言葉を武器に、制限時間と演習問題の選択で、問題解決を試みる。それが、塾屋の王道だ。LECはそうあるべきだと確信している。