朝、到着がぎりぎりになる

 塾に着けば、子どもらがずらっと一列横隊。こういうとき、僕は必ずぶすっと不機嫌な顔つきになる。人間的な雅量の小ささが、顔つきにでてるにちがいない。隠しようもない。
 31日は、岡崎君。元旦は西谷君(立命・4回生)が来てくれた。西谷君は、卒論に追われる毎日、ゼミで鍛えられている由「何を言ってもことごとくはねかえされます」と頭をかいていた。「いいことだ、しっかり鍛えられるといい」というような話をした。確かな成長を苦い体験を経てものにする、まさにその時期にある青年特有の矜持と慎みが、穏やかな笑みにあった。「先生も辛いっすねぇ、毎年受験でしょ、そのうち死にますよ」と慰めとも励ましともつかぬ言葉に深く同意し、おそらく彼の目に映っているであろう疲弊した中年オヤジに嫌悪した。
 そして今朝、体調最悪、頭はガンガン、嘔吐感が消えない。塾にきてしまった以上、トイレにこもるわけにもいかない。こういうときは開き直って、ガンガン授業をするしかない。国語の親子の愛憎物語を二題、ことこまかく喋り続けて解説した。予想した通り、喋っているうちに体調が回復して、嘔吐感は消失し、頭痛も軽減した。僕にとって最良の薬は授業であるらしい。授業さえやらせてもらえれば、どんな病気も治せそうな気がする。まぁ、そう考えたほうが幸福なことが多いということも確かにあるのだけれど。