冬のこと、来年のこと

 冬期講習の日程を考えている。受験クラス中心の講習に思いっきりシフトしたいなぁ、と思いつつ、三学期を考えると、考えなければならない均衡というものもあって、頭が痛い。根本的にスタッフひとりという制約が大きすぎる。教室も三つしかない。満たすべき要件が整っていないのに、果たさなければならない責務は厳然として存在する、という矛盾。言ってしまえば、欲張りなことをしようとしているだけなのかもしれない。身の程知らず、傲慢のきわみ、と自嘲気味に思う。
 攻勢終末点を遥かに越えて、非合理的な戦線の拡張を果たし続けた結果なので、自業自得なのだけれど、そうすることで初めて開発された能力もあって、自分の能力に見切りをつけることが未だにできない。やれやれ。
 そして、来年度のこと。個人塾なのだから、やりたいようにできるはず。ところが、そうでもない。経験的に身につけたタブー、塾屋としての虚栄心・野心、どうしようもないガラクタが心のあちこちに散在していて、本来あるべき思考回路を不必要に複雑にし、猥雑な要因のせいで意味もない隘路をあちこちに生み出す。からめとられてしまうと一歩も動けなくなる。
 結局のところ、自分を相対化、客観視できてない受験生と同様に、不平不満ばかりこぼして、実際的な問題解決は一向に進展しない悪循環に陥って、挙句の果てには責任転嫁し、問題をすりかえようとする。
 まったくう、こんなことを福山に来てからもう十六年も繰り返している。ぜーんぜん進歩していない。何をいったい学んできたのやら、この学習能力の低さは致命的だ。たぶん、十六年前に学んでいたLEC生も、今学んでいるLEC生も、僕とLECに対する印象を語り合えば、寸分の狂いもなく一致するであろう。それほど僕とLECは何も変わっていない。それが伝統とよべるような文化的な深みと広がりがあるものなら、喜ぶべきことであるけれど、たんなる惰性と無自覚な反復であるから問題なのだ。
 しかし、そうした愚か者にも、最後のひと言は常に用意されていて、「それがどうした」と開き直り、「笑えば笑った気分になれる」とうそぶけば、この日常を生き抜くことはできる。

 というわけで、色々ぐちゃぐちゃ思案中です。