村上は激怒した。

と言っても、「かの邪知暴虐なる王」に対してではない、半端な学習しかしてこない生徒に対して、である。「それがお前のベストの答えか!」と全身全霊で迫ってしまう。もうゴミ箱は蹴飛ばさない。めったに机も蹴らない。そんな半分本気、半分演技のパフォーマンスで生徒を恫喝していた時代も確かにあったし、必要なときもあったと思うけれど、今はもっとストレートに真正面からぶつかっている。「おまえのやっていることは間違っている。許されざる行為だ。」と、倫理的に断罪することが増えた。悪しき精神主義まであと一歩のところで、自己を制御する規範意識を強力に涵養しようとして力戦奮闘している、と説明できるかもしれないし、「ああ、また村上がブチ切れた」と生徒たちに片付けられているかもしれない。なぜ、許されないのか、状況に応じて噛み砕いて説明しているつもりだけれど、子どもたちの心の底にきちんと届いているかどうかは、容易に確認できない。もどかしさをこらえて待ち続ける態度を示し続けたい。
ただ、残念なことに、避けられない正面対峙ではあっても、それがきっかけでその生徒の学力が伸びるかと言えば、必ずしもそうとは言えない、ということだ。知性は、本来伸びやかで開放的なものであって、規範意識の自覚を促されるようなアングルですくすく育つものではない。僕は塾屋として根本的にアプローチに失敗しているのかもしれない。あるいは、根底的な学習姿勢の確立先行が、問答無用で必要な子どもたちなのかもしれない。ある場合は失敗しているであろうし、ある場合は必要であるであろう、というと、また、安易に相対化して話を棚上げする、と怒られるだろうけれど、実際、日々の主戦場、ホワイトボードの前に立っていると、自分が無自覚に依ってたっているプリンシプルを信じる以外にない。来た球を打ちました、とでも表現するしかない。余裕がない、と言えばそれまでだけれど、余裕があっても変えられない、という気がする。ギリギリのところで、これで一杯一杯です、何も足せません、何も引けません、表も裏もありません、とにかくこれだけです、というやり方以外に、塾屋稼業の営み方を知らない。
泥臭いことである。洗練された学習メソッドとはかけ離れたところにいる。ダース・ベーダーの "Your destiny" という台詞を思い出す。悲劇的な親子対決の場面で搾り出された父親の虚無と、塾屋が日常的に抱く、間違ったことをしているかもしれない恐怖心が、似ているはずはないのだけれど、、、