本の話(たぶん塾にも受験にも関係ない)

「海上自衛隊誕生」三部作と村上が勝手にまとめたいのが以下の三冊。
★「生涯海軍士官 戦後日本と海上自衛隊」 中村悌次
★「海の友情」 阿川尚之
★「凌ぐ波濤 海上自衛隊をつくった男たち」 手塚正巳

 もとはと言えば「不滅の駆逐艦艦長」呼ばれていた吉川潔中佐(戦死後二階級特進で少将)のことを調べていた。そこで第三次ソロモン海戦当時、吉川中佐の指揮した駆逐艦「夕立」で水雷長だった中村氏を知った。中村氏の聞き書きをまとめた書物を読むうち、海上自衛隊の成り立ちに興味が湧いて他の二冊に出会った。
 これまで授業で子どもたちに語るとき、警察予備隊→保安隊→自衛隊 とあっさり図式化してきたけれど、海上自衛隊に関してはもっと説明を加える必要を今は感じている。朝鮮戦争に従軍した日本の掃海艇部隊の活躍や「Y委員会」のことに触れなければならないのではないか、と思う。
 村上の生きているうちに、海上自衛隊が「海軍」になることなんて絶対ない、とこれまで疑いもしなかったけれど、海上自衛隊の成り立ちを知り、尖閣諸島問題や北朝鮮の核武装化をみていると、近い将来ありうる話になるのかもしれない、と考えをあらためた。そうなるべきだ、とも、その必要がある、ともまだ思わないけれど。
 アメリカ海軍のアーレイ・バーグ氏がどの本にも登場する。海上自衛隊創立の恩人として活躍したことは切れ切れの知識として知っていたけれど、氏が大の日本人嫌いから、旧帝国海軍の軍人や帝国ホテルの従業員との心温まる交流から日本人を受け入れ和解するくだりは深く考えさせられるものがあった。悲惨な戦争を経て、勝者と敗者という立場にありながら、人として理解しあい、尊敬しあえる人間関係を構築できたということは、背景に国際社会の冷戦構造があったとしても、奇跡的に崇高な出来事であったように思われる。
 いつの時代にも、国家と国家が一度はその存亡を賭けて敵対しても、プロフェッショナルであったがゆえに、ライバルとして認められ敬意を払われる、という逆説的な人間関係が存在するらしい。
 道義的退廃に陥ることのない戦争が存在すると考えるのは、悪しき軍事ロマンチシズム、妄想的なヒロイズムかもしれない。人間同士の殺し合いの営みに何か建設的な価値をもちこむのは根本的に誤っているのかもしれない。よく戦うことを称揚することは、よく殺すことを称賛するに等しいことだから。
 ただ、戦後日本が復興する過程に、ひょっとするとそうした美しい話があったらしい、と三部作を通じて信じるようになった。いや、信じたいのか。
 よく生きることが、よく戦うことでしかなかった時代は、たぶんたいへん不幸な時代であったろう。生まれてきた時代が、そういう時代ではなかったことをまずありがたく思うべきなのだと思う。と、同時に、そうした生き方を強いられた人々がいたことを、あるいは、今なお世界のどこかでそうした生き方を強いられている人々がいることを忘れてはいけないのだろう、と思う。この時代によく生きようとする者のひとつの務めとして。