シニアクラブに朗報が

 苦戦していた秘匿名称TIGERⅠに、やっと春。愛知県立大学の合格通知!
 しかし、ここから彼の苦悩が始まる。
 そもそも早稲田第一志望の彼が、愛知県立大学を受験したのは、せっかく受けたセンター試験のスコアを有効に活用しようとしたため。進学を前提に選んだというよりも、主戦場である私大文系受験の保険として出願していたに過ぎない。そして、まさに保険が保険本来の機能を発揮した結果を迎えた。
 しかし、保険といっても、精神的代償にすぎないのであって、失敗した大学と等価交換できるわけではない。あるべき未来の自分の姿を思い描いたとき、精神的代償にすぎないものを、実際的な選択肢として扱うべきかどうか、迷って当然であろう。
 僕の立場は明快だった。
 迷うくらいない二浪しろ。どうしても、二浪するのがいやなら、愛知へ行け。それは、君が決めることだ。二浪するのが嫌だ、と思いつつ、二浪してもうまくいくはずがない。しかし、この受験は、あくまで実力を試す意味以上のものはなかったのだから、どうしても行きたい!という気持ちになれないのなら、初志貫徹、二浪するべきであろう。
 そして、シニアクラブメンバー、一同が、「早稲田はどうなった、おまえは早稲田にいくために、この一年頑張ってきたのではないか」と、波状的に詰め寄った。
 彼は結論を出した。
 「二浪します」
 なんと無慈悲な塾であることか、曲がりなりにも四年生の公立大学である。聞けば、キャンパス全体が、さながら美術館のような美しい学校であったという。捨てるにはあまりに惜しい大学であろう。それを、よってたかってやめさせようとしている。
 しかし、たかが一年遠回りしたからといって何だ。二浪が何だ。かなえたい夢があり、望むべき未来があるなら、徹頭徹尾こだわりぬき、とことん極めるべきだ。まだまだ余力があって、燃え尽きていないのに、妥協して夢を捨ててしまうことこそ、もったいない。
 どんな苦境にあっても、夢があれば人は生きていける。どんなに安定した生活であっても、夢がなければ、人の生に花は開かない。雄々しくたくましく大輪の花を咲かせるため、深く地中に根を張り、太い幹を育てるため、長い時間をかけてじっくり育つのを待つことは、決して間違っていない。
 焦らず、急がず、自分のペースで、大きく育つのだよ。