銀河学院中学・高校

 僕の苦手な学校紹介のビデオが15分。ちょっと編集しなおしたそうだけれど、よくなったようには思われなかった。どこかで前に書いた気もするけれど、ビデオを流す時間があるなら、生きた言葉で自分たちの教育を生き生きと語って欲しい。
 昨年もそうだったのだけれど、校長先生の話が、まったく印象に残らない。話の中身が散漫で抽象的、語尾が消えていくインパクトゼロの話しぶり、100名以上の教師を先頭に立って統括しているとはとても思えない小ぶりな覇気。理事長には都合のよい校長であろうなぁ、と思ってしまったことであった。
 コース長の先生の話は、余裕のない早口と口癖の「やはり....」が耳障りで、ずいぶん損をしていた。たぶん、校長が意味もなく長々と話してしまったものだから、時間に巻きがはいって焦っていたのだろうけれど、語る熱意のほどには感銘をうけることはなかった。観念的な理屈が上滑りしている、よくある教育論に終わっていた。「銀河学院の教員たちが、日々銀河学院の生徒におこなっている、銀河学院でしか体験できない教育とはどういうものか」を同じだけの熱意で語れば、もっと内容豊かな話になったであろうに、と惜しむ。たぶん、とても熱心な先生なのだろうけれど、アピールするべきポイントがずれていた。教育理念と教育哲学は、校長がもっとしっかり語ればよい。現場の教師は、もっと授業と生徒を語るべきでしょう。
 全教員の顔写真入りのプリントを渡されて、何かあったら指名して連絡をとってほしい、というお話が司会をされていた広報の方からあった。(この広報の方が、いちばん生きが良くて、メリハリのきいた話をなさっていたのが不思議といえば不思議。結局プロフェッショナリズムを感じたのは、この人だけだった)趣旨は、ひとりひとりの生徒を塾と学校と双方から支援する態勢をつくりたい、という話だった。おもしろい試みだけれど、現実的ではない気がした。というより、ハッタリめいた大風呂敷を臆面もなくひろげて見せるあざとさにひっかかった。もし実際にやりはじめたら銀河学院の教員のストレスが増すのは確実、どこまで本気で考えているのか不明な話を堂々とされてもね。
 小学校をつくるにあたって、新しい銀河学院像の提示でもあるのかと思ったけれど、何もなし。
 よくわからない説明会だった。金光学園のときに感じた温かみはなかったし、盈進のときに聴きとめた工夫された取り組みもなかった。近大福山で感じたひとりひとりの生徒に対するきめ細かな指導もリアルにうかびあがってこなかった。岡山白陵のときに感じた凄みのある迫力もなかった。
 じゃぁ、何があったのだろう。彼らはいったい何を訴えたかったのだろう。僕は何を聞き損ね、何を感じ損ねたのだろう。彼らの善意を疑う気はない。よい教師たろうとしていることはまちがいない。ひとりひとりの方は熱意もあれば技術もある方々ばかりであろう。僕なんかよりよっぽどまっとうな人々であるに違いない。にもかかわらず「銀河学院」という言葉で浮かんでくる学校のイメージが、いっこうにまとまらないのはなぜだろう。