9月30日の話

 広島へ行ってきた。駅近くの「生涯学習センター」で、県教育委員会主催の「パイオニアスピリット養成セミナー」を参観してきた。県内の中・高生が、三泊四日の合宿(福山少年自然の家)を皮切りに延べ6日間、さまざまな分野で活躍する講師陣のセミナーを受け、プレゼンテーションの練習、グループ発表をおこなってきた活動のまとめの日だった。
 50数人の中・高生がひとり約1分の発表を次々おこなった。巧拙に差はあったけれど、どの子もひたむきに一途に、セミナーで学んだこと・自分の将来の夢を語った。参観する者の心に、新鮮な感動を呼び起こす、健やかさとさわやかさが会場にあふれていた。中学1年生から高校2年生までの子どもたちが、初めて出会ったその日から、互いにコミュニケーションをとり、仲間意識を上手に育て、理解しあいながら、ともに成長する喜びをわかちあってきた足跡が、飾らない言葉や素朴な表現の端々に見て取れた。ティーン・エイジャーたちにのみ示すことのできる「至誠」があった。
 また、初日から全体の活動を支えたボランティアの大学生たちが、じつに気持ちよく明るく振る舞い、中・高生たちをしっかりと上手に励ましていたことも印象深かった。教育委員会のスタッフの方々もとても役人とは思えないフットワークの軽さを示して、きめ細かく運営されていたことに感心した。疑うことのできない善意と共感に支えられた教育活動であったと言ってよい。
 県の生涯学習課の責任者の方が、最後に話をされた。夢に関連して、ご自身が民間企業に2年間勤められたあと公務員になろうとしたときの思いは、公務員=耕夢員という考えだったことを静かに淡々と、しかし聴くものにその誠実さがダイレクトに伝わるようにお話された、そして、アメリカの詩人エラ・ウィーラー・ウィルコックスの「運命の嵐」を朗読された。(以下、ネットからの引用)

  一隻の船は東へ、
  もう一隻は西へ行く、
  同じ風を受けて。
  進路を決めるのは
  風ではない、
  帆の向きである。
  人の行く手も海を吹く風に似ている。
  人生の航海でその行く末を決めるのは、
  なぎでもなければ、
  嵐でもない、
  心の持ち方である。

 熱く語りかけたわけではない。芝居がかったところは一切なかった。しかし、人生の厚みと年輪を感じさせる品のよい語り口が耳に心地よく、言葉が心の奥深くにのこった。子どもたちがどのように感じたかはわからない。しかし、保護者のひとりとして、納税者のひとりとして心から喜んだ。地方行政に携わる方々の中に、子どもたちの教育に関わるパブリック・サーバントの中に、洗練された物腰であたたかく子どもらをみつめつつ、気高い精神を感じさせる方がいることを驚きをもって眺めた、といったら言い過ぎか。とにかく、スピーチの末尾に詩の朗読を上手におこなった方を生まれて初めてみた。たいがいは、独りよがりのろくでもないことになるのがふつうであろう。
 今年で三回目になるこの催しを、娘は担任の先生の紹介を通して参加した。担任の先生にはいくら感謝しても足りないほど、娘にとって豊かで、内容の濃い体験となった。親としては、セミナーの合宿に参加させるときは非常に不安が大きかった。しかし、杞憂だった。帰宅してから目を輝かせて際限なく語り続ける体験談は、想像を遥かに超えていた。広島の地下街でおこなったグループ発表も生き生きとおこなっていた。子どもらが大きな自信を身につけ、成長していく現場にたちあえたことは、親として幸せであった。
 実は、個人的にまったく邪な思いで、娘にこのセミナーの参加を勧めた点があった。最終日、保護者も参観できる最後の講師が、なんとあの大野豊さんだったのだ。広島カープの全盛時代、中心選手として活躍された偉大なレフティ、我らが守護神、その憧れの人のお話が間近に聴ける!ひょっとしたら握手できる!サインだってもらえる!これは行くべきだ、行かせるべきだ、行け!
 ということで、お会いできました。ボールにサインしていただきました。握手もおねだりしました。あぁぁぁぁ、感激。
 お話が、また上手。子どもらの質問にもよどみなく実に的確にアドバイスをされていて、ただ敬服。打算もなく虚飾もなく、真摯に丁寧に体験にもとづいて語るその語り口は絶対にまねできない。もと野球選手としてではなく、人生の先立ちとしてあらためて尊敬の念を深くした次第。サインボールは私の心を導くイコンとなった。

 色々な意味で実り多い、秋晴れの一日であった。