最後の生徒は姉妹、11:17

 「微分」に苦しむ姉が、「作図」に苦しむ妹を諭す。「そんな簡単な問題でガタガタ言わないでほしい」と。姉の言い分はよくわかる。しかし、それぞれの時に、それぞれの苦しみがある。定量的に比べることはできないのだよ。親が子の欠点を指摘するのも同じ。子どもの悩みはその子にとって絶対的であって、比較しようがない。しかし、親はともすると相対化し、一般化する。子どもの目線にたつとは、そうした一般化をあえて踏み越えて、個別的状況にどこまで迫れるか試されていることなのだろう。
 塾屋も同じ。ひとことで「この子は国語が弱い」というのは簡単だけれど、どこがどう弱いのか、どこまで説明できるか言ってみろ、ということになると、はなはだ危うい。決まりきった常套句を排して、どこまでその子の実像に迫れるか、塾屋の力量が問われる場面だ。
 100を越える生徒ひとりひとりを、僕はどれだけ正確に語っているのか、語ることができているのか、安易に数字に寄りかからず、自分の教えてきた事柄を通してどれだけきちんと子どもの学力をつかんでいるのか、偽りのない、真っ正直なところで発言できているのか、、、、
 塾屋として恥ずかしくない発言と行動ができているのか、日々自問自答しているけれど、自信をもって肯定できる日はすくない。