先日の小4の国語で

 宮沢賢治の童話・「カイロ団長」を扱った。虐げられていたものと虐げていたものとが、一瞬にして立場をかえる。噴出する復讐の情念が残酷にブラックユーモア風につづられたあと、悲劇を契機に湧き上がる憐憫と思いやりを経て相互理解にいたる美しいお話。高らかに人間愛を謳いあげる名品だった。
 イラクやパレスチナで連綿と続く「憎悪の連鎖」を断ち切る思想が生き生きと描かれている。小学校四年生には、しかし、少しばかり高尚な内容であったようだ。いや、教える僕の力量の限界が大きすぎた。
 中学受験の国語指導の神様と僕が尊敬している檜山三郎氏なら、核心をずばりと突く授業をなさっただろう。僕は、檜山氏の著作から「戦争」と「貧しさ」が子どもの心の奥底を深く耕す題材になっていることを教えられた。
 「平和」を享受し「豊かさ」に慣れ親しんだ子どもたちには、しかし、時として難しい題材でもある。「貧しさ」といっても「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれる程度の「貧しさ」が、たぶん、僕たちの許容範囲であろう。昨夜、TVから録画された映像にポロポロ涙をこぼしながら、自分の「心の貧しさ」と、生活の「豊かさ」を深く恥じ入った。しかし、現実にはもっと悲惨な貧しさもあるだろう。アフリカやアジアの難民を思うと、また、別の話になるにちがいない。

 まとまらない話。きょうはここまで。