2月2日(高校)、3日(中学)にの附属二連戦

 に向けての最終調整段階。といっても、LECボール・キッドはやっと遥かな頂が視認できたところ、過去問演習の手ごたえは悪くない、表情もあかるい。問題は、理社の追い込みがどこまで完成できるか、あと四日間の集中演習にかかってきた。研ぎ澄まされた集中力で、膨大な演習を易々とこなしていくさまは見ていて気持ちがよい。夢をもった少年のみがみせることのできる至純の営み、と言っておこう。塾屋の幸福は、掛け値なしに、生徒の勉強ぶりにかかっている。現在時刻は午後11:11、今夜中にこなさなければならないプリントはあと30枚近く。さて、どこまでボール・キッドが頑張れるか、心静かに見守ろう。

 英語検定試験は、無事終了。毎年、三学期は、受験の追い込みと重なって、教室の手配に苦労するのだけれど、今年は、うまく分散して思ったほど苦労しなかった。英検の受験準備も、中2から英検準2級、2級をチャレンジすることが珍しくなくなって、以前はもっとドキドキしながら指導していたのに、最近は乱暴にやるべきことをザクザク指示して、あとは、時間と場所を提供するだけになっている。ちょっときめ細かさに欠けているかもしれない。三学期はどうしても受験生にかかりきりになる個人塾の限界だ、と開き直りたくはないけれど、もっと軽やかなフットワークを駆使するべきだとわかっていても、情念的な衝動につきまとわれて、気がついたら受験生の方を向いている。今回の英検で失敗する生徒がいたら、それはあきらかに村上の作戦ミスです。受験した彼らに罪はない。

 ということで、クライマックス間近の中学・高校受験指導のため、入塾案内の時期ですけれど、附属の入試が終わるまで、全面凍結。傲慢不遜ですが、新学期の入塾に関するご案内は、2月4日以降にお願いします。

 疲れたので、どうでもいい話。

 気がつくと僕は広島市民球場で、ショートを守っていた。三塁手は、日系2世のジョージ・オカダ。不思議なことに彼はカープのユニフォームではなくて、早稲田実業のユニフォームを着ている。顔はハンカチ王子こと斉藤投手そっくり。「君をレギュラーに抜擢するって監督が言ってたぜ、はるばるアメリカから来てよかったな。でもまだ18歳だろ、プロでやっていくのは厳しいぜ」
 とか何とか一生懸命英語を使って話しかけていたら、真正面にゴロが来た。暗くて球筋を見失ってトンネルした。頭にきて、アンパイアに詰め寄り、どうして照明をつけないんだ、暗すぎるじゃないか、と文句を言ったら、ぱっと明るくなった。なんとそれから、9連続でサードゴロ、ジョージ・オカダが華麗なフィールディングと、正確無比なスローイングで完璧にアウトをとっていく。華奢な少年の奇跡のようなプレイを陶然と眺め、絶賛しているうちに、目が覚めた。記憶に鮮明に残っているのは、二度と拝めないような守備ではなくて、思うように英語で会話ができなかった焦りのほうだった。
 
 でも、ジョージ・オカダって誰だろう。「ノーノーボーイ」の作者だったかしら。ちがったジョン・オカダだった。あれは大学一年のとき印象深く読んだ。ちょうどアイデンティティ論が盛んな頃で、「モラトリアム人間」が話題になっていた頃のこと。思えば、ニートやフリーターの社会的認知はあのあたりからだ。
 さて、野球とアイデンティティという隠喩をどう読み解くべきなんだろう。
 バーナード・マラマッドとジョン・オカダの相似性を発見して得意になっていた頃から、ずいぶん歳月が流れてしまったけれど、社会のどこにも居場所が見つけられず、自分が何者かも分からず、タイムリーエラーをしては絶望感を感じていた気分だけは鮮やかに蘇る。
 あの頃の自分に言ってやりたい。
 「大丈夫、何も焦る必要はない。
  ゆっくり、進め、人生は君が思っているより、ずっと長いし、ずっと奥が深い。ちっぽけなことでくよくよするな。がんばっていればきっといいことがある。」
 
 というわけで、総計54ページのプリントをやりぬき、今さらながら、越えるべき障壁の大きさにおののいているボール・キッドを励まし帰宅させたので、僕も帰ります。暖冬と言っても、午前零時の町並みを、ペダルをこいでひとり随道を抜けて帰る彼に、夜風は冷たいはず。明日の附属の過去問演習(理科社会勝負!)の結果次第では、さらなる飛躍が期待できる。
 一日がかくも尊く、24時間がかくも短い少年に、明日はさらなる試練を課すことになるのか、それとも、タウリン以上に勇気づけることが出来るのか、乞うご期待。