中学卒業おめでと

 僕の記憶では、僕にとっての中学校の卒業式は、理不尽な抑圧からの脱出という側面が強くて、甘美な感傷に浸る類のものではなかった。だから、父親として列席したきょうの娘の卒業式を彩る、素朴であたたかい雰囲気が実に新鮮でものめずらしかった。みんなひとつになって(卒業生も在校生も先生方も保護者の方々も一致団結して)心温まるイベントを演出していた。そして、僕も何の抵抗もなくその雰囲気に同調していた、恥ずかしさを忘れるほど。熱いものが次々とこみ上げて来て、止めようがなかった。式のあと、娘がお世話になった先生方に直接お礼を述べ、握手をすることすらごく自然におこなっていた。
 僕自身の中学校の卒業式で唯一覚えていることは、ひとりずつ卒業証書を授与されるときに、あらかじめ録音していたメッセージが流されたことで、僕のセリフは、確か、次のような誇大妄想がブレンドされた論理破綻したものだった(笑)。
 「たった一度の人生だから、思ったとおりに生きたい。人々を幸せにするためにがんばります」
 たぶん、加藤諦三にかぶれていた時期だったので、深い考察もなく、言葉だけをつぎはぎしてしまったのだろう、と思う(苦笑)。
 きょうの卒業式で耳にした言葉は、もっと清冽でもっと誠実な言葉だった。大切に残しておきたい言葉がきちんと正しく使われていた。ひょっとすると、僕自身の中学校の卒業式にもそうした貴重な言葉はあったのかもしれない。歪みねじれていた僕の心に響かなかっただけかもしれない。たぶん、そうなのだろう。聞く者にあまりに大きな問題がありすぎたのだろう。