昨日の続き

今作っている資料も、昔つくったもののデッドコピー。様式もレイアウトもほぼ同じ。ファイルを持ってきたわけではないけれど、利用できる一次資料が限られているから、自ずとできることには限界があり、僕の美意識が変わらない以上、できあがってくるものに変化はない。

しかし、当時と違うことが決定的にある。当時は資料を作ることに意味があった。今は、資料から読み取れる情報に意味を求めている。あたりまえの話だが、なかなか自分で資料を編んでいると、その作業そのものに自己満足をおぼえてしまうことが多くなる。それに気がついて、資料作りをやめた。今回復活を企図したのは、昨年の敗戦がきっかけ。中学受験も高校受験もめちゃくちゃ痛い結果だった。塾屋の足元をおもいっきり崩されるような失敗をしでかした。どこか驕慢に考え、見たいものしか見ていなかったのだろう。経験におぼれていたというべきか。

今年、同じ失敗は繰り返せぬ。
そういうこと。