鉛筆派?シャープペンシル派?言え、ボールペン派

 驚いた。
 小学校6年生の授業で知ったのだけれど、シャープペンシル禁止の小学校がいくつかあった(いや、全部だったかな)。
 理由はいろいろらしい。
 芯が折れて危険、筆圧が弱くなる、授業中に手遊びの原因になる(集中力の低下を招く)、などなど。もっともらしい理由だ。
 ネットで調べてみると、上記の理由は定番として、さらに「中学入試でチェックされる、トメ・ハネ・ハライは、鉛筆でなければ書けない。シャープペンシルを使っていたら、絶対落ちる!」という禁止当然派から「どっちでも大丈夫」の許容派まで、多彩な意見があった。どうやら禁止している小学校が多いらしい。
 しかし、中には、シャープペンシルなら、ノックの回数に比例して伸びていく芯の長さを使えば図形の線分比を調べられる、という、超高級裏ワザを披露している方(塾関係者)もいた(確かに、広大附属福山中学の算数の図形問題は正確に描かれているので、上手にやればシャープペンシルで測れるかもしれない。なんて書くと、本気にする子がいるから、あらかじめ言っておくよ。ズルしちゃだめだぜ、たかがあの程度の問題も解けないで、難関大学狙おうなんざぁ笑止千万)
 村上は基本的にどっちでもいい派。でも、どちらかと言うと、シャープペンシルを好ましく思う。芯先の丸まった鉛筆でかすれた文字を無頓着に書いている子をみるとカチンとくるし、やたらと短くなった鉛筆を意地になって使い続け、寝かせるような持ち方をしている子をみると、手段を自己目的化している姿に愚かさをみる。いや、やっぱり好みの問題か。
 シャープペンシルを好ましく思うのはたんにノスタルジックな感傷からだ。
 村上が、ノック式の銀色のシャープペンシルを初めて使ったのは、小学校5年の時だった。父からもらった。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。削りたての鉛筆のにおいも捨てがたかったけれど、常に鋭利な文字を書き続けられることに虜になった。クラスの児童の半分ぐらいしかまだ持っていなかった。昭和40年代、小学生にはシャープペンシルは高級文具といってよかっただろう。
 ただ哀しいことに、脂性の手でずっと使い続けていたものだから、半年もしないうちに、ボディ部分の銀色メッキが剥げてまだら模様になってしまった。お蔵入りとなったその第1号シャープペンシルを捨てられずに、何年も勉強机の引き出しの奥に転がしていた。大切な記念品だった。
 確かに、鉛筆で書いた字は、固有の曲線美をもつ。でもそれって文系の人がもつ特有の特殊な書道感覚だろう。漢字テストで、下手に毛筆感覚の美しさを鉛筆で追い求めると、子どもは書いては消し書いては消しを繰り返し、大量の消しカスの山を築き、ノートと手と指先は黒鉛で薄汚れ、結果的にたいへん美意識を欠いた状態になることが多いように思う。
 いや、それよりも村上が問題だと思うのは消しゴムの方だ。
 村上が算数の机間巡視の最中に、ノートの式変形を指さして「そこ、ちがうぜ」と言った瞬間、反射的に消しゴムで消し始めようとする生徒の多いこと。
 「待て、消すな。まずどこがおかしいか考えろ!わかったら、そこには×印をつけて、空いたところに初めからやり直せ、絶対消すな、なぜ消しちゃいけないか、わかるかい?消している間、君の思考がとまるから。何も考えないから。それはよくないことなんだよ。無駄なんだよ。考え続ける集中力を切らしちゃいけないんだ。わかる?だから、算数の問題を解くときに、消しゴム使っちゃだめだってば。それにさぁ、どこで間違ったか残しておけば、次から同じ間違いをしそうなときに気づくだろう。人がミスをするのには一定のパターンがあって、それをきちんと認識できたら、注意して予防できるんだよ。時々ノートを見直して、どういうときに自分がしくじるのか、ちゃんとおさらいするんだってば。賢い奴は他人の失敗に学ぶの。でも君はまだそこまで賢くない。だから、まず、自分の失敗に学ぶ必要があるの。わかるね。間違った問題は消さない、残しておく。そして時に見直す」
 というわけで、「はい、消しゴム、シャープペンシルはしまって、青または黒のボールペンを出しなさい。じゃぁ始めるよ」というスタイルで、小テストを行うことが多い。
 漢字テストは、さすがにボールペンでやらせることに多少ひっかかりがある。あまりに汚い字(特に男子児童の一部)に辟易するからだ。トメ・ハネ・ハラウが曖昧で、すこぶるアナーキーな字のオンパレードになっている答案を目にすると「鉛筆を使わせようか」と真剣に思う。
 それで、漢字検定試験の合格率があがるなら、漢字テストだけ毎回鉛筆を使わせよう。ただし、消しゴムは使用禁止で。
 鉛筆感覚の筆圧を要するボールペンがあれば、一番いいかも。