先生、これ、、、

高校生が模擬試験の結果を差し出す。

数学だけ途方もなくロウスコアであったり、英語だけボコボコにできが悪かったり、たいがい唖然とするような成績とご対面することになる。

成績不振の原因がはっきりしている場合もあれば、そうでない場合もあるし、本人が危機感を強くもっているケースもあれば、親に言われてとりあえず持ってきた、というケースもある。いずれにしても、そのデータをどう解釈してどんな対策をとればよいか、アドバイスしなければならない。

しかし、数年にわたって英語・数学を教え続けていて、ほぼ客観的な能力を把握している子どもがとってくる成績に、心底おどろくことはまずない。想定の範囲内の結果しか出てこない。

だから、「ふーん、たいへんだねぇ」と他人事のように言って終わりにしたい、というのが村上の本音だけれど、それはあんまりだから、せめて「まぁ、そういうこともあるんじゃねぇの、次、頑張ればいいじゃん」といなしたくなる。しかし、それも塾屋の能力を疑われてしまうだろうし、何か追い詰められた表情をしていたり、すがるような目つきをされたりすると、冷たくあしらうわけにもいかない。

だから、あれこれ、まぁそれらしい批評をして、場合によっては、それなりの対策を講ずることになる。多くの場合は、対処療法になってしまうし、気安め以上の効果的なアドバイスはなかなか難しい。

誰に対しても、どんな時でもバカの一つ覚えのように、「間違い直しをしなさい。丁寧に最初から考え直して、自分が忘れていたこと、知らなかったことを一個ずつ整理して、きちんと身につけなさい。本当に理解できるまで、徹底的に考え抜きなさい。イージーミスも、必ず1行目からやりおなしなさい」というようなことを言ってきたし、これからも言うだろう。「どこかに素晴らしい問題集か参考書があって、それをやればたちまちパワーアップ!なんてことは絶対にない。苦手なものは繰り返し練習するしかない。腹のそこからわかった、と思えるまで徹底的にやるの。とことんこだわっていくの、なぜなんだろう、どうしてなんだろうって考えるの、その積み重ねが実力を磨くの。時間と手間を惜しんではいけないの」というようなことを言うだろう。

それではとてもとっかかりがつかめない子には、「これをやれ、一週間に一冊ずつ4週間分だ」とか言って、薄い問題集を渡したり、プリントの束をどさっと手渡すこともある。目に見えて、重さのあるものがないと前へ進めない子は少なくない。

 

 

「信号が青になったら渡るんだ、信号が変わるまで待て」ということを面倒だからといって、しつこく言わなかったために、子どもが交通事故にあってしまったら、どう思うだろう。

その子どもが不注意なのか、そうではない。子どもはみんな不注意なのだ。大切なことは何度でも言わなければならないし、できるようになるまで何度でもやらせてみなければならない。

教えても教えてもできないなら、何か創意工夫が足りないのだ。

あるいは根本的に熱意が不足しているのかもしれない。

「どうせこいつには分かりっこねぇ」と心のどこかで思っていたら、絶対できるようにならない。

できるようになるレンジを狭く取りすぎても広く取りすぎても、子どもを適切に導くことはできないけれど、根本的に、導く者に圧倒的な熱意がなければ、足踏みする子が前進することはない。

そういうことだ。

塾屋のすすむべき道ははっきりしている。

創意工夫。適切な技術的アドバイス。そして、過剰でも過大でもない、圧倒的な熱意が必要なのだ。

 

明日もだれかが、「先生、これ、、、」と見せてくれるだろう。

塾屋は毎日試される。