今日から授業再開です。

本日、午後4時からLEC再始動。

4月の予定表(口座振替明細)をもらっていない人は請求してください。

LEC生の新学期はうまく起動・修正・適応したかしら。
新しい学校、学年、学級になると、発見や驚き、喜びと戸惑いは必然的に生じるもの。過剰に反応するな、と言いたいけれど、繊細な感受性をうまく調節できない年頃の子たちには無理でしょうね。

とにかく、新生活に順応するのに焦らないこと。
自分が変えていかなければならないこと、つまり、受け入れなければならないことは、少しずつ慣れていくしかない。はじめのうちはストレスもたまるだろうけれど、そのうち慣れてくる。

ただし、そのためには、状況の暗い面ばかりみるのではなくて、明るい面をみること。楽しいこと、面白いこと、わくわくすることに目をむけ、行動していれば、少々気に入らないことがあっても乗り越えていける。

成長するには時間がかかることは誰だって知っている、ただ、その時間の長さは人によって違うし、家族の支援の仕方によっても違ってくることは、見過ごされやすい。

環境の変化を積極的に受け入れられる子たちは、「どんどんやれ」ってけしかけるだけでよい。最終的なゴールをしっかり見据えて、コースさえ大きく逸脱していなければ、ひたすら加速していい。あれもこれもやりたいことはどんどん挑戦させればいい。

環境の変化を積極的に受け入れたいけれど自信がない子たちも、「大丈夫だ、ためらうな、失敗したっていいじゃないか」って励ます必要がある。「失敗をおそれず果敢に挑戦し、もし失敗しても、ひるまず再挑戦する」ことを学ばせることは大切だ。子どもたちが自信をつけていくのは、リスクを背負った行動をしたときで、安全無事なレールの上を予定通りに進んだときではない。

環境の変化を受け入れるのにたいへん苦労する子たちは、ひとつひとつ順に慣れる作業を繰り返すこと。いっぺんにいくつもたくさんのことをやろうとすると混乱するだけ。ターゲットをしぼり、エネルギーを集中して、ワンステップずつ小刻みに段階をあげていけばいい。混乱の原因がどこにあるのか、自覚できるようになれば、子どもたちは急速に適応することが多い。

早起き、通学経路、新しい友達、先生方との距離を適切にとること、学校行事、課題、授業、部活動、などなど、心配の種は尽きないが、何か大きなトラブルがあっても、1学期もすれば問題解決の方法はみつかるものだし、1年もすれば大概のことは笑い話になる。3年たって卒業するころにはいい思い出になることだってある。(苦い思い出にしかならないこともあるかもしれないけれど、それはどこか心の奥にしまっておけばいい、うまくいけば忘却できる。忘却できなければ、それをエネルギーにして燃焼させればいい。苦い思い出を糧にできる子は強い)

LECの子たちと、長い子で2週間、短い子で9日間、顔をあわさなかった。その間、彼らは皆新しい環境の中で、ちょっとした冒険をしていたと思うと、ブログの記述がながくなった。

どんな変化と成長を見せてもらえるのか、実に楽しみだ。




えっ、村上はどうか?って。

この休み中の旅行で確実に白髪と皺が増えた(笑)

英会話が上達した(←嘘、自惚れ)

チップを払うタイミングがわかった(←これも嘘、ようわからん)

和食のおいしさを認識した。(←これはホント、掛け値なしにそう思う)

ユタ大学の学食で、英語、スペイン語、中国語、韓国語が飛び交う中、洗面器のような馬鹿でかいプラスチックボウルに大盛りにされたサラダと格闘しながら、妻に「もういっぺん大学生活やってみたいなぁ」と言ったら笑われた。食事はともかく、その場の雰囲気は50過ぎのジジィを大学に誘う何かがあった。

同大学図書館で、モダンにデザインされ、最新の設備が整えられた中で、朝からパソコンと書物を広げ、静かに真剣に学習している何百人もの学生たちをみていると、合衆国の力の源泉が「知の力、情報の力」にあると直感的に感じられた。やがて彼らが身につけた知識と情報を駆使して、豊かな体験をもとに国際社会で活躍するのだろうと思うと、「日本は勝てねぇよ」と暗澹とした気分にもなった。

そうした環境の中で、語学のハンディ、生活習慣・気候風土の違い、あらゆるものをたくましく乗り越えつつ、自分の道を自分の力で切り開いている娘に、パーフェクトにオヤバカであると自覚した上で、敢えて正直に言うと、胸があつくなった。



さて、それで白髪と皺が増えただけっていうのは悲しい。

どう顕現してくるか、正確に語れるほどの言葉と表現がまだ見つからない。

まぁ、みつからないけれど、これは確か。

LECと村上は、きょうからちょっと新しい。

旅先で不安をかかえているときに、陽気にあかるく接してくれた人たちの優しさから教えられたことは大きい。



乞う、ご期待。