決断する、ということは、何かを捨てること

02教室入り口 ガンダルフのドア

という話を、高校生の生徒としました。

日々、生徒の誰かと何かの相談をし、「ふーん、なるほど」という言葉から、「だから、たぶん、〜するべきじゃないの」という言葉の間で、塾屋の僕が塾屋の役割を演じる。

ありがたいことに、僕自身と、子どもたちの前で演じている塾屋の僕の間に、深刻な乖離はない。根が単純にできているのだろう。地でやっている。いや、やっているつもりか、実は、微妙に違う部分があって、どこかで、無意識的に抑圧しているところもあるかもしれない。可能性として否定する気はない。しかし、だから、どうした。心的現象がどうあろうと、目の前にいる子どもが問題解決をする際に、力になれたらOKで、力になれなかったら失格だ、ということだ。

だから、よろず問題解決機関、受験指導のコンビニエンス・ストアとして機能性を高めたいと、強く思う。