「君は本気で数学を勉強したことがあるのか」

 とんでもないヘマをしでかした生徒に尋ねた。ぬるい姿勢に業を煮やしたからだ。確かに、一日に英語・数学・理科・社会と四つもあれば準備は大変だろう。しかし、そんなことははじめから分かっていたことだ。まともな思慮分別があれば、もっとましな準備をしていたはずだ。
 だが、しかし、自己管理能力が低く、強制や命令に従順でも、自主的な営みを遂行するには、認識力も洞察力も拙劣で、意志も劣弱な生徒に、そんな一般論で説教しても得るものは多くない。下手にいらぬおせっかいを焼いて、強制につぐ強制で、状況認識を不問にしたまま学習を盲目的に継続させても、奴隷根性を助長するだけ。真に求められなければならない精神性は、棚上げされたまま朽ちることはあっても、健やかに成長することはあるまい。
 しかしそれでも、この夏になんとしても、たとえ地球の自転を止めてもマスターしておかなければならない学習事項はあるのであって、倫理の河岸を渡り、暴虐の限りを尽くしても教えたい。ああ、それが塾屋のエゴだということは十分承知している。ひょっとして生徒のため、と言いつつ、塾屋の自己保身からの発想だという可能性も否定しない。やりたいようにできないから、いらついているだけってこともあるだろう。
 さあて、時の流れに身をまかせるには、見えてくる近未来像が恐ろしい。流れに棹差すには、悪魔に魂を売る勇気がいる。恐怖に耐え、悪魔のささやきに耳をふさぎ、か細く続く道をたどってどこまで行ける事やら。