きょう一日、そして明日

メインは中3の模擬テスト演習を監督。試験対策の中学生、高校生も数名いた。穏やかな午後、ゆっくりと時間が流れていた、、、、
おもに01教室にいた村上は、youtubeからダウンロードした藤澤ノリマサを聴きながら、小6の生徒の強化演習にあたった。1人は算数、1人は社会、のはずだったんだが、社会の生徒の答案をチェックしていると、あまりの字の汚さに漢字の書写にすりかわってしまった。そして、、、
この生徒は視覚認識力が未熟というか、漢字が一画一画構成され、美しくバランスのとれたフォームをとるという意識が低い。字体の大きさはまちまちだし、水平になるべき線が水平にならず、垂直になるべきところが垂直にならない。つい先日まで、自分の苗字の漢字すら、完璧に誤った字を書いていた。それはまだいい。以前にも中1の生徒で、自分の名前の漢字を一画余分に書いていた子を指導したことはある。驚きはしない。
問題の所在は、一度で訂正できないところにある。どうにもこうにも思い込みが強すぎて、柔軟に修正を受け入れられない。苗字のときもそうだったし、きょうも演習開始直後に誤った漢字をひとつ指摘し、訂正の仕方を教えたけれど、答案には修正されないまま書かれていた。再度言えば気づく。「ああ」と嘆息する。
「何べん言えばわかるんだ」と怒るのは簡単だけれど効果的ではない。たぶん、最初に気づいたときに、一画一画丁寧に書かせ、漢字の成り立ちや部首の確認や、多面的な解析を施していれば、同じ失敗を繰り返すことはなかったのだろう。
というより、一番最初に情報が刷り込まれる(記憶される)段階で、慎重にゆっくりと丁寧に正確にインプットするべきなのだ。刷り込み度が強い割に、刷り込み作業が雑なため、あとあとの修正が効きにくいということなのだろう。
意味もなくせっかちに急ぎたがるタイプの子をゆっくりと丁寧に学習させるのは難しい。ましてさまざまな習い事を通して強迫観念的に急いでやることを強制されている子は、見事な集中力を発揮する場面も確かにある一方で、恐ろしく雑に情報処理をおこなう場面が必ずあるものだ。
日常生活の次元では、そうした偏りも「一長一短」という俗な言葉ですむ。しかし、中学受験の次元ではすまない。もっと緻密な情報処理ができるように指導する必要が生まれる。子どもの長所を伸ばしてやりたい、と思いつつ、学習の根幹にかかわる部分に関しては妥協できずに、強制力を発揮せざるを得ない。教えるほうも焦らずにゆっくりやるのが肝要。塾屋の務めこそ、急いては事を仕損じる。
と、思いつつ、師走の風に煽られ、つい効率を求めてしまう。

最後の生徒が塾を出たのは11:18(高3).
残りの日数を数えるのはやめよう。とにかく目前の課題をひとつひとつ解決し続けること。できることに全力をあげること。
また、明日!