LECの生徒へ

 塾に来て受験勉強をしているからといって
 自動的に受験生になれるわけではない。
 合格したい、という燃えるような意欲をもつこと。
 もっと賢くなりたい、という純粋な気持ちしっかりもつこと。
 そして、そこまでやるか、といわれるほどの努力を惜しみなく行うこと。
 この三つの条件を満たしたとき、君たちは「受験生」になる。
 「受験生」も、人が成長していくプロセスのひとつに他ならない。はじめっから完成された受験生はいない。子どもが生まれたからと言って、すぐに完成された親が誕生するわけではないのと同じだ。突発的に熱を出したり、夜泣きしたりする赤ちゃんを右往左往しながら介抱し、感情にまかせて子どもを叱って失敗したり、親のエゴで子どもを振り回して後悔したり、散々ろくでもない錯誤を重ねながら、親は次第に「親」になっていく。はじめから完成された親などどこにもいない。
 人は人生のあらゆるステージで、失敗と反省を繰り返し、なるべきものになっていく。時には導かれ、時には自力で。しかし、いずれにせよ、本人が望まなければ、決して成就しないし、能力以上のことを望んでもうまくいかない。経験を積み、自分のスタイルを知って初めて、自分の流儀で無理せず成し遂げられることも、未経験で自分のスタイルを確立していない段階では、ムダ・ムリ・ムラがつきまとう。やってられない気分に滅入ることも多々あるだろう。しかし、その気持ちをほんの少しだけ我慢する。毎日ちょっと我慢して、もう少し頑張る力を増やしていく。
 たぶん、それが「受験生」になる、ということなのだと思う。
 日々の小さな耐性力の積み重ねが大事をなす根源的なパワーになる。
 継続は力なり、という言葉の意味もそこにある。
 今が、頑張りどきだ。
 がんばれ、がんばれ、がんばれー!