底冷えのする肌寒い中

 LEC生と次々出会い、輪になって待機した。今年は昨年の失敗に懲りて、娘の自転車を借りた。乗って驚いた。娘が常時セットしている3速でペダルを漕ごうとすると、太ももの裏の筋肉が悲鳴を上げ、心臓が臨界点まで鼓動を早める。舌打ちし、2速に切り替えた。陸橋は1速にしても負担が大きく、あえぎあえぎ山陽線の高架を超えた。まったくなんてこった。老化を自覚するために自転車にしたんじゃない!
 ハードボイルド・ボーイとF君を見つけられたなかったのが心残りであったけれど、残りのみんなは、みんなよい顔をしていた。例年、緊張に蒼ざめる子がいるものだけれど、祝祭的というしかない場の高揚感を、今年はみんな淡々とさして重くもなく軽くもなく平常心で受け止めているように見受けられた。「終わったら啓文社に行くんだ」と楽しそうに語るトリックスターは、半ズボンであった。
 「きょうで終わりだから、明日からのんびりしてください」と言うと、少女は満面の笑みを浮かべ、コクンとうなずいた。その素朴な喜びが、できれば心の底からわきあがるような達成感によって大きく膨らむことを祈った。
 「それでは行ってまいります」と軽く挨拶して、子どもらを引率しテントに向かった。もっときちんとした挨拶をするべきではないか、と何度か考えたが、人ごみと喧騒の中、芝居がかったことをするのもためらわれ、あっさりと出撃。くるりと背を向け、受験生の流れに入った。遅れてきた少年があとから合流した。同級生の保護者のとっさの機転であった。感謝した。使い古された動作で、頭をゴシゴシして励ますと、表情が和んだ。
 彼らは校舎に入った。僕は9:00から始まる中3生の演習に間に合うように急いでその場を立ち去りかけた。「先生!」と呼ぶ声がする方を見ると、小5のやんちゃ坊主。懇談の際に、見学をすすめておいた。ご両親もいらっしゃっている。「親の方が緊張しますね」という言葉に深く同意。この賑わいをこれから一年間思い描きながら、親子一丸となって、附属受験の長い旅路が始まる。終わりの始まりに向かう6年生と、始まりの始まりに立ち会う5年生、何かが終われば何かが始まる、その感慨に浸る間もなく、坂道を下った。中学生たちが待っているはずだ。