風は北より、さわやか

 朝から、塾にて片付け、掃除、こまごまとした事務処理。税理士さんと電話。リコーさんにメール。模擬試験の答案用紙の発送(中学生)。合間に保護者の方からメールで学習相談が一件。お越しいただき、懸念される算数の弱点について意見交換、補習の進め方を工夫することにした。
 昨夜、よせばいいのに、NHKでヴェネチアを紹介する番組をつい観てしまった。リアルト橋はもっと狭かった、とか、街角のマリア像なんて、ひとつも気がつかなかったよ、とか、娘はとっくに寝ているのに、妻と二人でワイワイ盛り上がって睡眠不足。不健康不良中年だよなぁ、まったく、メタボ以前の状態。これで娘が大学へ入学し下宿したら、間違いなく毎晩宴会になってしまうだろう。

 先日、ニュージーランドに1ヶ月語学研修に行ってきた1回生の塾OBからメールをいただいた。3回生になったら、1年間留学したい!と溌剌とした希望を述べていた。受け取ったこちらがそのまぶしく弾む心の躍動に触れて、心の底からあかるくなるメールだった。鬱っぽい気分にまとわりつかれていたけれど、一読して、あっという間に晴れ晴れとして憑き物が落ちた。ありがたい、もったいないことであった。あらためて、Nさん、感謝!

 また、先日、デザイン系の専門学校を卒業して地元の大手食品メーカーに就職した塾OBが来訪した。社会人になる戸惑い、不安を抱えながらも、すっと、気構えることなく前向きに生きていこうとする姿勢にたいへん共感し、感動した。途中、彼氏から彼女の携帯に電話が入り、「塾の先生なんかどうでもいいから、早く帰って寝ろよ」とアドバイスする馬鹿でかい声を漏れ聞いて、まったくそのとおりだ、と完全に同意し、二人の恋がさわやかに成就することを深く祈った。Iさん、今度は彼氏とおいで。

 また、先日、高校時代の恩師から停年退職したというおはがきをいただいた。塾のサイトのどこかに松村先生のことを少し書いた記憶がある。そこでは触れなかったエピソードを書きたい。
 たぶん、あれは秋だった。もう晩秋といってもよいころだったような気がする。高校2年生の僕は、2時間目の物理の授業を前に学校を抜け出した。これといって理由があったわけではない。お行儀よく授業をうけることが、なんだかむちゃくちゃ馬鹿馬鹿しくて、山に登って広い景色を見たらスカッとするんじゃないか、という、じつにくだらない思いつきを無思慮にも実行にうつしただけの話だ。学校(因島高校)のまわりには、小高い山に続く道がいくつかあって、門を出れば簡単にアプローチできた。で、奥山(通称、観音山)めざしてとことこ歩きはじめた。今、思えばアホな話で、僕はバス道を制服姿のまま歩いていた。裏道とか、細い道とか、平行して走る道はいくつもあったのに。
 坂道を登りきり、ゆるい勾配にさしかかったとき、向こうのほうから見覚えのある大人が自転車でやってきた。松村先生だった。ばつの悪そうにたたずむ僕に「どうしたん?」と分厚いレンズ越しにギョロ目をむいて、真剣な顔つきで迫ってくる。
 その瞬間までとんでもなくとんがって、ささくれだって歩いていた僕が、なぜかその一言で砕けた。まったくわけもなく、素直に、授業を抜け出して山に登ろうと思っていることを告げた。「そりゃ帰ったほうがえかろう」と先生はおっしゃった。素直にうなずき学校まで二人して帰った、先生は自転車を降りて押されていた。道々どんな話をしていたのか、思い出せない。ただ、最後に「あとで僕んとこに来んさい」と言ってくださった。授業に遅れて出席し(なぜか、また、ふてくされた態度にもどり)、クラスメートには何も話さず、昼休憩まで待って、うつむきながら職員室の松村先生をおとずれたら、「村上ぃ、これを君に貸してあげよう、これはカストリ雑誌といって、戦後、もののないときに出されたもんで、坂口安吾の短編集なんよ。読んでみぃ、おもしれぇで」とか、なんとか、薄汚い古い雑誌を貸してくださった。
 自分で自分を認められない、まして、誰かに認められることは決してない、よるべなき魂が徒に彷徨を繰り返していたとき、ありのままの自分を丸ごと受け入れてくださり、おおきな慈愛で包み込み、絶対的な安心感を与えてくださった、その恩恵の深さがどれほどのものであるか、この歳になると理解できる。いただいたご恩を僕は何もお返しすることもできていない。不肖の教え子である。
 俳人として専門誌で高い評価を受けられている先生の年賀状には、毎年、先生の名句が載せられていて、お正月の僕の大きな楽しみである。今年は、年賀状さえおだしできなかった。なんと情けないことであるか。文学者として俳句を詠まれる一方で、公立中学の教師として重度心身障害を抱えた子どもらを見守り続けてこられた先生がついに退職される。
 先生、お疲れ様でした。ゆっくりおくつろぎください。因島にキャンピングカーでお越しの際は、ぜひご歓談いたしたいと思います。ご連絡くださいませ。20年ぶりの再会を楽しみにしております。

 さまざまな別離と出会いと再会と、四月は相変わらず、冷たく残酷に、そして、あたたかく晴れやかに過ぎてゆく。