中3生、卒業おめでとう!!

「俺、きょう答辞読んだんスヨ」
「ああ、卒業式ね、へぇー、生徒会長じゃないの?お前って、副会長だったろ」
「会長は、百周年事業の時読んだから、、、」
「卒業式はお前やれってか、ふーん」
「で、女の子バンバン泣かしちゃって」 
「はーん、感動的なお話をしたのね、自分で書いたの?」 
「はい、自分で書きました」
「ふふふ、ヒーローやんか」
「あとで、『泣かすな!』ってめっちゃ怒られて」
「まぁ、感動的な卒業式だったってことで、いいじゃない」
「はい」
「よかったね。では、あらためて、卒業おめでとう」
「ありがとうございます」

 いい卒業式もあったろうし、ろくでもない卒業式もあったろう。感動を胸に刻むことができた子たちは幸せだが、そうでなかったとしても、落ち込むことはない。中学生が、自分の生活をプロデュースできるレンジは極めて狭い。いわば他力本願で生きているのだから、卒業式の良し悪しは、言ってみれば運次第だ。
 自立した大人になれば、自分でコントロールできる範囲が広がる。日常生活で、関わっていることがつまらないと思えばさっさと捨てることもできるし、やろうと思えば自分の責任で始められることもたくさんある。籠の鳥ではないから、自由意思で行動できる。感動したければ、感動できる行動をとればよい。
 管理されている間は、なかなか思い通りにいかないことが多いだろう。嘆くにはあたらない。自由に行動するには、それなりの能力が必要だ。15や16でいきなり自由に行動しろと言われても何もできまい。やがて来る「自由の時」に存分に行動できるように、管理・保護・養育されている間に能力を磨いておけばいい。巣の中にいる間に、厳しい飛行訓練をしっかり積んでおけ。そうすれば、たとえ嵐の日に飛び立つことになっても、恐れる必要はあるまい。
 だから、子どもを育てるということは、たぶん、その巣立ちがうまくいくように備える、ということなのだろう。失敗を恐れず、果敢に困難に立ち向かう気概と能力を育てるには、どこまでも子どもを信頼する深い愛情と、ぶれることなく子どもを導く厳しさの両面が必要になる。いっぱい愛された子は、自立を恐れない。厳しく導かれた子は、困難にくじけない。
 子どもが生まれてから大学入学までの18年間は、たぶん、そういう時期にあたる。小4から始まるLECのシステムは、その後半の9年間をサポートすることを想定している、と、言い切ったら、ちょっと言い過ぎか。
 すこしお手伝いできればいいなぁ、と思っている(笑)
 いや、失敗の方が多いんだから、あまり偉そうなことは言えないか。

 とにかく、中3生!

 卒業おめでとう!

 それぞれに、それぞれの素敵な道を歩んでください!

 大人になるまでに、しっかり修行を積んでおくんだよ。

 いまいましい世の中だけれど、おもしろいこともいっぱいあるから、

 不自由な間に、自由になった時困らないように、とことん能力を磨いておきなさい。

 親の脛はとことんかじりなさい。どうせ、順番だ。いずれ、君らも齧られる。

 下手に親に遠慮して、やりたいこともやらずに我慢しないこと。やりたいことがあれば正々堂々主張すればいい。やりもしないで、愚痴をこぼさないこと。とにかくやってみなはれ。

 不合理なこと、時には不正なことにも出くわすだろう。

 でも、即時的な怒りに身を任せてはだめ。

 本当に怒りを感じるのなら、きちんと解決能力を身につけてから、地道に解決を図りなさい。

 人生は、とても長い。焦ることはない。一歩ずつ歩めばいい。

 幸運を祈る。

 いっぱい、いいことがありますように。