再び防暑配置

 きょうは昼の授業を始める前に、塾正面のガラス面を水びたしにしてシャッターを下ろし、その上でシャッターにも散水した。
 「何か閉じ込められた気分がする」と生徒が口にするのももっともだし、授業の合間に外の雲の動きを見られないのは、僕もつらい。閉所恐怖症ではないものの、外界から隔絶されたコンテナの中で授業しているような状況が、精神衛生によいはずがない。
 と言いつつ、実際に授業をはじめると、解説をどうコンパクトにまとめるか、スピーディにどう流すか、そればっかり考えていて、それ以外のことにまで気が回らないので、シャッターが下りていようがいまいが、関係ない。生徒もノートを取るのに必死で、ガラス面の向こうに何がみえているのか気にしている余裕はない。
 もちろん、無意識のうちに抑圧を受けることは避けられない。しかし、たかが一日数時間、また数日のことだ。よほど柔な奴でないかぎり、実際的な影響は無視できるだろう。ちょっとした事柄を針小棒大に扱い、無益なメタファーをこじつけ、さも、何か意味ありげに語ろうと思えば、どんなことでも重大事件になる。汎象徴主義と誇大妄想は紙一重、容易に転化し、すりかわる。